いしずえ

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神話のおこり

人間は生まれ、生活し、そして死んでゆく、正しく生きるにはどうすればよいか、という想念が神話の形で描かれたのである。神話は混沌とした現実に、秩序を与えるために創造されたものである。神話は、人間の生存と秩序あるものとして見る努力と意欲の中から…

柊原青年団の歩み

一、二才制度 県教育史によると、島津家分国法ともいうべきものに、忠良、貴久連判の掟(おきて)と、忠良が義久に与えた「諫議(かんぎ)書」などがあり、その掟の一条に「諸士衆中忠孝の道、第一に相守り、五人与(ぐみ)中むつまじく可交事(まじわるべき…

思想の歴史

第一章 人類史の始り 人類の歩み二千万年 人間唯生きるだけのものならば、動物・植物と同じである。動物も植物も人間も生命をもって生きていることに於いて共通であるからである。人間と動物の違いは、生命より派生した属性の考へる理性、感受する感性、眞実…

序言

古代は洋の東西を問わず、神を人間の理想像に捉え、自ら神たらんとし、他をも神に尊びかんとした聖人の指導時代であった。人と人との差は人と猿の差よりも甚だしいものである。創造者、天才、英雄は何時の時代でも極めて少数であり、多数は模倣によって人間…

王子神社の杜の青みかん

昔、鬼山部落に行こうと、王子(オジン)の杜を通ると、青みかんが一ぱいなっていた。帰りに取っていこうと、用事を済ませて来てみたら、青みかんは、影も形もなく消えてしまっていたという。 ❝神社の近くに杉を植えない❞ 昔、神様が杉の葉で目をつつかれた…

切目王子神社の伝説

昔、昔、大昔の話であります。西薩のとある海岸に一人の御姫様とその母人と二人暮しの御家がありました。 その母人というのは、何でも高貴な方の御寵姫(ごちょうき)であったが、ある人の讒言(ざんげん)によりて遠ざけられ、この寂しい海岸へ隠れ棲んでお…

人類統合の覚え書

近代文明は「人間尊重と合理主義と民主主義」で発展し繁栄して今日に至ったが、この三つの思潮が行詰り今や地球は破壊され人間性(倫理道徳)は崩壊し、滅亡に瀕している。その理由は、人間尊重が行過ぎて自己尊重に変じエゴイズムに変り、生命軽視となって…

天皇は歴史の生き證人である

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない果せるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。 この長い歴史を通して一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらしめた…

抜本塞源論〔口語訳〕

しかも万物一体の仁を完全に成し遂げるから、精神が貫通し志気が流通して他人と己れ、物と我との間の区別がなくなるのであります。これを人の身で譬えて言いますと、目が見、耳が聴き、手が持ち、足が歩いて、始めて身体の働きが果たされるようなものです。…

抜本塞源論〔口語訳〕

当時、世の人々は、和気藹々として楽しく暮らし、お互い家族のように親しみ合いました。だから才能や素質が劣っているものは、農夫、職人、商人などの身分に満足して、各自わが職業に精を出し、お互い助け合って生活を営み、高い地位を望んだり、よい境遇を…

抜本塞源論〔口語訳〕

当時学校内では、ただ徳育を教育の主眼としました。そして独自の才能を持つもの、例えば礼楽に秀れていたり、政治教化に秀れていたり、農業に秀れていたりするものがいますと、徳育を根本として、さらにその才能を学校で磨かせました。そして有徳者を採用し…

抜本塞源論〔口語訳〕

その教えは、堯・舜・禹に相伝えられた「道心は微弱であるから、心の雑念を去ってこれを純化し、ひたすらこれを保持するようにして心を中正にせよ」というのが、その綱領であり、「朋友の道は信である」という五教が、その細目であります。 堯舜三代の世では…

抜本塞源論

今後、我々が王学の発展を望むなら、当然抜本塞源論を、より重視すべきである。そうすれば王学の真実な思想を見失う事がないであろう。而も実際的に我が身にこの社会に役立つ事が出来る。そして誰もが政治知識を得られ、道徳才能も得られる。それは簡単明瞭…

(ヘ)事上磨錬

門下生、陸澄が小児危篤の家書を得て、憂悶に堪えないで居る時に、陽明之を見て「此の時こそ正に工夫を用ふべきである。若し此の時放過するならば、平時の講学は何の為にしているのであるか、人は正に此等の時に在って磨錬する事を要する」と教えた。又、同…

(ホ)数尺の水源

水源のない、数町歩の池水となるよりは、数尺四方でもいゝから水源があって、生意の尽きない井戸であった方がいゝと王陽明は言っている。又、「泰山の高きより、平地の大なるを」とも言っている。これは一見矛盾している言葉であるが、それは広い池も高い山…

(二)一棒条痕、一掴一掌血

諸君は此々にあって務めて必ず聖人たらんとする心を立てるようにしなければならぬ。そして何時でもピシッと一棒痛打すれば何時でも一生、一筋の痕が残り、グッと把めば、その物に手の血型が付くようでなければならぬ、それでこそ私の話を聴いても一句ゝ力に…

(ハ)四言教

善なく悪なきは、是れ心の體 善あり悪あるは、是れ意の動 善を知り悪を知るは、是れ良知 善を為し悪を去るは、是れ格物 格物・致知・誠意・正心 告子は唯、心を動揺させないという事を功夫の主眼とした。 孟子の場合は、心は本来動揺するものではない、義に…

(ロ)陽明学の五綱領

①心即理=王子の説は、理は心と離れて事々物々の中にあるのではない。事物の理というのは即ち心であるというのである。謂る理を外物に求めず、心に求めよと説く。「忠と孝の理は君親の身上に有りや、若し親の上に孝行の理があるならば、親が亡くなれば孝行と…

陽明学が右・左の仲を取り持つ

中江(兆民)は狂態を装うていたが、実に天真爛漫なものぢゃ、初めて知ったのは自分が30前後の時ぢゃ、大阪で有志大会があった時、その席上、私は中江と云います。と名乗って来た。それから三日続け自分の宿にやって来て「ビールを下さい」と言って半ダー…

陽明学の真髄知行合一

②知行合一=知れば必ず行う、知る事と行う事は一緒に進む。行はざるは未だ真に知らざるが故なり。この知行合一説は畢竟するに知と行は、もと之れ一箇の本體の両面であって、別に話して考える事は出来ない、知と行とは同時的、共存的なものである。 「今の人…

七、王陽明の基本的思想の概要

(イ)王陽明の五溺 王子の一生は57年であるが、前半生は迷うて過ごしている。其の間の迷いを五溺と云う、其れは①任侠②騎射③辞章④神仙⑤仏教である。 先ず①任侠は男立ての事で、日本で言えば幡隨院長兵衛という格である。謂る「弱きを助け強きをひしぐ」と…

王陽明の思想とその歴史的位置

陽明学は孔子の儒教の流れを汲むもので孔子・孟子そして宋時代の朱子に至るが、朱子学は当時官吏の学で、我が国に於ても江戸幕府が御用学として、取入れたが支那と同じように博学知識、窮理の机上の学問では、国家革新は出来ないという事で知行合一の陽明学…

王陽明の出生

成化8年(西暦1472年)今の中国の上海の南にある浙江省の餘姚県という所で生れた。日本は足利時代で此の年は、応仁の乱で有名な山名と細川の二大将が、死んだ年で今から534年前である。 王子は名を守仁と言い、字を伯安と言った。陽明という号は紹興…

陽明学の趣旨

近代日本歴史上、一番の大変革期・明治維新の原動力となったのが陽明学である。謂る明治維新は攻める人も陽明学なら守る人も陽明学であった。例えば倒幕運動で攻める人は、大塩中斎(大塩の乱)に始まり、薩摩の西郷南洲、長州の吉田松陰以下高杉晋作であっ…

光や山のようなもの

(安岡 正篤)「私はまだ立雲翁に直接面晤した事がない。 然し数回宴席で翁の風貌に接した事がある。 古人を見ていると何となく心が和らぐ、一人でも楽しくなる。 翁は終始黙々として居られるが、それが私の胸に天範となって響く、何だか名刺を出したり、挨…

翁は、微塵の技巧もない人

立雲翁を訪うて以来、一度もこちらから生国、職業を云うまで「君はどこの生れか」「君は何をして居るか」などと普通の人が挨拶参りに問ひさうな事を嘗て問われた事がない。無駄な事を云わぬ点、立雲翁は実に徹底して居られる。「今日は結構な天気で」とか「…

三宅雪嶺の頭山評

三宅雪嶺が頭山を評価した点として、次の諸点があった。 (イ)人を良くまとめる。 (ロ)金銭に恬淡としている。 (ハ)イザという時は、命を投げ出す事ができる。 (二)一身を捨てて五尺に委ねる。 (ホ)無位無官で平気でいる。 (ヘ)独立独歩しかも頭…

中国の保護国へ転落か

中国はアフリカ諸国のレアメタルを狙って進出し、数ヵ国をほぼ植民地状態に置いている。次に狙うのは東シナ海の完全な制海空権と西太平洋の制海権である。このためには台湾を領有するとともに、日本を保護国化しなくてはならないが、民主党の進める外国人参…

背後に反皇室勢力の手が

そしていま、タイでは華僑系のタクシン前首相率いる反政府勢力がバンコクで騒乱状態を招いている。タイ王室は国王と後継者とされる皇太子が対立していると言われ、皇太子に取り入っているのがタクシン派つまり親中国勢力である。ネパールに次いで、王室の内…

日本船が中国船に追尾される

22年間にわたって10%以上の軍拡を続けてきた中国の脅威がいよいよ現実のものとなりつつある。4月には沖縄と宮古島のあいだを抜けて、10隻の中国艦隊が太平洋に向かい、沖ノ鳥島周辺で演習を行った。5月には日本の排他的経済水域内で調査中の日本船…