第三版 序 文
思想篇は既に重ねること三度である。今回全集の出版に伴ない三版となった。他篇との関係もあって内容を一部訂正し、第二巻思想篇として全集に組入れたものである。
「神は死んだ」とニーチェが言った。が、死んだのは神ではなくて人間なのだ。生きているものは悪魔と獣性と性悪の人間であって、人間に価する人間はもはや現世に一人もいない。ゲオルギイも云っている、「地球上に動物の新種が現れた。この新種の名は『市民』と謂う。彼等は森の中にもジャングルの中にも住まわずに事務所の中に住んでいる。彼等は人間と機械の雑種として生まれた。これは退化種族だ。そして実際的には地球上のあらゆる種族の中で最強のものだ。彼等の顔は人間に似ており、しばしば人間と混同されがちだ。だが、すぐに彼等は人間としてではなく機械として動いていることが分かる。彼等は心臓の代りにクロノメーターを持っている。彼等の頭脳は一種の機械だ。そして彼等の欲望はまるで野獣の欲望である」と。またアレキシス・カレルも「近代文明は人間というものを理解せずに作られた。科学は、人間の欲望、想像、理論、希望等によって没価的に作られたものである。それは人間に適したものではない。科学は明らかに何の計画も結果をも考えずになされたものである」と述べている。
近代文化とはこうした性格の文化である。これを名付けてニーチェは「危険を伴侶とする文化」であると云っている。近代人が冒険好きで刹那的で虚無的であって快楽を貪り、犯罪、反抗、対立、分裂、賭博、破壊、詐欺、横領、姦通、破廉恥を重ね、瞬間の勝負に生命をかけるのはこうしたところに理由がある。それを知らずに明治以来の日本は、これを絶対なもの、至上の文化であると信じ、取捨選択を誤って模倣を続けてきた。その傾向は今日におよんでも何等変ってない。
日本の歴史的伝統を持っていた頃の日本人と今日の日本人とは、民族が違うのではないかと思われる程その本質が違う。血統的には同一であるが、その思想、文化、方向、性格は全く違うのである。明治以前の日本人は日本の歴史、伝統、思想に所属していたが、現代人は日本の道統に無知であり、無関心であるばかりでなく軽蔑しており、西欧の歴史と伝統に所属している。前者と後者との間には何等の関連もない。かなりの距離と断絶があるだけである。現代日本人の祖国はヨーロッパであってアジアではない。尠くとも日本でないことは確かである。彼等の殆んどは日本人であると謂われるよりもアメリカ人であると謂われ、ソ連人の仲間であると謂われるのを喜ぶ。この亡国的国籍喪失現象は、西欧文化の無批判な模倣からきている。
歴史的蓄積が失われると同時に、日本らしい日本は消え失せ、伝統への反逆が行なわれ、模擬、否定、破壊が繰返されてきた。日本は民族の道統を捨てて、西欧の文化的植民地として生きてきたのである。近代の日本は、西欧文化によって築かれ、つくられてきた。
近代啓蒙思想はルネッサンスに始まる。ルネッサンスは人間の発見に始まりながら非人間の確立に終っている。ルネッサンス発生の動機は、キリスト教の強圧に対する反動として起こったものである。キリスト教は人を罪の意識で拘束し、創造的能力を殺し、精神の自由と魂の独立を破壊し去った。そこでルネッサンスはキリスト教から人間を奪い返し、人間らしき人間をつくろうとしたのである。ところが行き過ぎて神と人間の分離を惹起し、人間の発見はやがてデカダンスな人間の発見に変わり、瀕死の人間を見出すことになった。確かにルネッサンスは人間性の発見とその確立に誤った。近代啓蒙思想と文化を摑んだ人間像は、人間性の否定が含まれており、性悪的なものが加わっている。それは奴隷を肯定し、神を否定したものである。かくて、出来上がったものが奴隷根性と従属精神である。そして多数決と合理主義であった。その所産として成り立ったのが唯物主義と実証主義である。しかし、それは何れも創造的個性の涸渇を意味するものばかりであった。そこには精神的荒廃と深刻なる対立分裂があるだけである。近代思想と文化は神と精神を退け、魂を質入れして悪魔と奴隷を受取った。彼等が発見したのは人間ではなくて機械と技術である。それは人間性と個性を破壊し、精神的自由と創造力を削減し、人間そのものを見失ったことを意味する。そこに見出されるものは人間と人間の関係でなく、神と人間の関係でもない。機械と人間の関係だけである。人間と人間の間に機械が座り、機械が一切を計算し決定している。この物質主義のために人間は人間を捉えることが出来なくなり、精神の作用をもつことが出来なくなっている。全てが利害と打算で動かされ支配されるようになっている。これがやがて習慣となり機械的生活となって精神を麻痺させ、制度を硬化させ、有機的作用を否定し抹殺したのである。実証主義はあらゆる神秘性を暴き、尊厳にして神聖なものを傷付けた。そして機械と技術は有機的作用と生命を破壊した。
ベルジャエフはこのことを次のように述べている。「そこからでてきた個人主義と社会主義は、今や最悪の存在として人間に迫り、人間性と個性をそこない、暗黒を展開せんとしている。人間の本体というものは、人間的多様性のものに神的統一を見出し、そこに精神的具体化をはかることによって与えられるものである。ところが近代は人間をこの具体的なものから引離した。従って、不可避的に過激なる個人主義と社会主義に至らざるを得なかった。そしてこれは、社会と人格との抽象的分解の二つの形体、すなわちニーチェとマルクスにおいて、自己否定と自己抽象との二つの形になって現われた。ニーチェは自己を放棄し、自己を否定した。彼は近代思想の犠牲者として現われたのである。彼は超人の自己征服を待望した。人間の人格的価値を許さない。超人の人間に対する苛酷を説くのである。超人とは、喪われた神を取戻すものとして彼はこれを求め、代りに人間を否定し見失ったのである。これと同じように、マルクスも人間は階級や集団に席を譲るべきものとして迫った。マルクスは、人間、個性、人格をブルジョアの遺産であると見倣し、これを否定して集団主義に加入することを望んだ。彼は人間、人格に対してその価値を許さない。また人間性を排除し、集団だけが現れた神の地位につく資格があるものと説いた。彼の階級主義は、非人間と反人間と反人間性を求めている。彼もまた、近世の嫡子であり犠牲者であった」。
マルクスは精神の価値と神の存在を認めない。それを否定することをもって特色とした。社会主義は明らかに自己否定であり階級闘争だけが目的であるというのである。階級が人間に代るのである。従って人間性や人格や個性は否定され、人間はただ社会的集団化のための手段となるだけである。人間は階級闘争のための手段となるに過ぎない。マルクスは、一切の創造的建設的なものを邪悪なもの憎悪すべきものとして破壊にかかったのである。
近代思想は人間の発見、人間の創造的個性の確立をもって始りながら、その否定をもっている。神を失った人間はもはや人間ではない。神に帰一することを失った人間は内的分裂を起こし、精神的力を涸渇させ、非人間的勢力に屈服してその奴隷となる。そして裏切りと背信と偽瞞を繰返して行くのである。かくて人間は完全な悪魔となり、獣となる。この人間に対する人間否定と神否定が近代の性格である。現代人とは性悪面だけをもっている人面獣心をいうのだ。現代人の称える自由平等人権は神のものでも人間のものでもなく悪魔のもの、人間獣のもの、また性悪的なものであって、人間否定としての自由であり平等である。現代には人間も、自己も、人格もない。そのことさえ現代人は知らないのだ。
日本の歴史伝統の蓄積は、明治の中頃ーー日露戦争頃までであった。日露戦争を境として、日本人らしい日本人は姿を消した。伝統の否定がうたわれ、懐疑と論理が日本を支配した。そして日本の近代化が伝統否定の上に築かれようとするときに、人間性否定の近代啓蒙思想が文化文明の名で押寄せ侵入してきたのである。ここに日本の悲劇がある。大正、昭和と西欧化が進むに従って日本精神と伝統、そして魂の独立は失われ、行方不明となった。日本人の生活は喪心者として自己喪失、国籍喪失、魂の抜け殻として生きてきたのである。現代の日本人の生活は、神と伝統と中心を失ったものとして、鳥合の衆か獣類の集団か或いは虫けらの生活である。それ以上またそれ以外のなにものでもない。鳥・獣・虫の根性で社会生活と制度、法律を取り扱っているに過ぎない。
著者が生存法則論を説き、一方に思想運動として「綜合文化協会」をつくり、政治団体として「大和党(国民社会党)」を組織し、国民運動として「国の礎」を編成しているのは神を人間生活に蘇らしめ、伝統を中心とする「人間の発見」を通じて創造的個性のある人間、人間性、人格を確立するためである。著者は西欧伝統および西欧思想の存在価値を否定しない。だが、それを認める前に肯定できる自己、主体、神を確立したいものである。
日本人の多くは虫や獣の生活以外に人間精神の存在と作用があるのを認めようとはしない。また社会的全存在が人間性を破壊し、創造的個性を否定しているのを知らない。この認識がない限り、政治家は政治を破り、経済人は産業経済財政を崩し、宗教家は宗教を、教育者は教育を、芸術家は美の世界を、学者は知識を、科学者は科学を殺すであろう。米ソと雖もその城埒を越えたものではない。世界と人類は誰が新しき創造力をもって方向づけるであろうか。世界の問題は暫らくおき、日本は一体如何にすべきであろうか。それはもはや尋常の手段方法では出来ない。起死回生の道は唯一つ、失われた神の道を切り開くための革命、維新、革新の闘いが存在するのみである。
昭和三十四年十月一日
著 者
(43 43' 23)
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