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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     四版を刊行するにあたり

 数年前までは猫も杓子もドイツ・イデオロギー一点張りで、明けても暮れてもマルクス主義であり共産主義であった。共産主義に始り共産主義に終るという状態が一つの流行になっていた。朝から晩まで寝ても起きても階級闘争であり、革命であり、ストライキであり、働く者の天下であり、労働者万能であって、日本的なものは、反動、逆コース、軍国主義、ファッショ、侵略主義であると罵り暴れたものであった。だから、国民あげてこれに乗り遅れまいと便乗し、参加し付和雷同をつづけたものである。彼等ドイツ・イデオロギーの俘虜たちは集団的利己心を基本として、力という力の一切(権力・武力・財力)を奪取せんと、闘争に次ぐ闘争をつづけた。これが戦後十四、五年間の日本を支配した一つの大きな流れであり勢いであった。今にも共産革命が勃発するのではないかと思われることが度々であったが、それが何時の間にか悪夢のように拭い払われ去られ、今では唯代々木の本部と総評・日教組及び民青同などの一部にくすぶり続けているに過ぎない。ところが一難去って一難来たる。前門の虎を追い、後門の狼群に襲われる諺どおり、今度は、フランス・イギリス思想ともいうべきデカダンスの思想に侵されることになった。
 フランス思想とは、人権主義・自由主義・民主主義・合理主義をいい、自我と個性と欲望の自由をいうのである。

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     第三版 序 文
 思想篇は既に重ねること三度である。今回全集の出版に伴ない三版となった。他篇との関係もあって内容を一部訂正し、第二巻思想篇として全集に組入れたものである。

 「神は死んだ」とニーチェが言った。が、死んだのは神ではなくて人間なのだ。生きているものは悪魔と獣性と性悪の人間であって、人間に価する人間はもはや現世に一人もいない。ゲオルギイも云っている、「地球上に動物の新種が現れた。この新種の名は『市民』と謂う。彼等は森の中にもジャングルの中にも住まわずに事務所の中に住んでいる。彼等は人間と機械の雑種として生まれた。これは退化種族だ。そして実際的には地球上のあらゆる種族の中で最強のものだ。彼等の顔は人間に似ており、しばしば人間と混同されがちだ。だが、すぐに彼等は人間としてではなく機械として動いていることが分かる。彼等は心臓の代りにクロノメーターを持っている。彼等の頭脳は一種の機械だ。そして彼等の欲望はまるで野獣の欲望である」と。またアレキシス・カレルも「近代文明は人間というものを理解せずに作られた。科学は、人間の欲望、想像、理論、希望等によって没価的に作られたものである。それは人間に適したものではない。科学は明らかに何の計画も結果をも考えずになされたものである」と述べている。
 近代文化とはこうした性格の文化である。これを名付けてニーチェは「危険を伴侶とする文化」であると云っている。近代人が冒険好きで刹那的で虚無的であって快楽を貪り、犯罪、反抗、対立、分裂、賭博、破壊、詐欺、横領、姦通、破廉恥を重ね、瞬間の勝負に生命をかけるのはこうしたところに理由がある。それを知らずに明治以来の日本は、これを絶対なもの、至上の文化であると信じ、取捨選択を誤って模倣を続けてきた。その傾向は今日におよんでも何等変ってない。
 日本の歴史的伝統を持っていた頃の日本人と今日の日本人とは、民族が違うのではないかと思われる程その本質が違う。血統的には同一であるが、その思想、文化、方向、性格は全く違うのである。明治以前の日本人は日本の歴史、伝統、思想に所属していたが、現代人は日本の道統に無知であり、無関心であるばかりでなく軽蔑しており、西欧の歴史と伝統に所属している。前者と後者との間には何等の関連もない。かなりの距離と断絶があるだけである。現代日本人の祖国はヨーロッパであってアジアではない。尠くとも日本でないことは確かである。彼等の殆んどは日本人であると謂われるよりもアメリカ人であると謂われ、ソ連人の仲間であると謂われるのを喜ぶ。この亡国的国籍喪失現象は、西欧文化の無批判な模倣からきている。
 歴史的蓄積が失われると同時に、日本らしい日本は消え失せ、伝統への反逆が行なわれ、模擬、否定、破壊が繰返されてきた。日本は民族の道統を捨てて、西欧の文化的植民地として生きてきたのである。近代の日本は、西欧文化によって築かれ、つくられてきた。
 近代啓蒙思想はルネッサンスに始まる。ルネッサンスは人間の発見に始まりながら非人間の確立に終っている。ルネッサンス発生の動機は、キリスト教の強圧に対する反動として起こったものである。キリスト教は人を罪の意識で拘束し、創造的能力を殺し、精神の自由と魂の独立を破壊し去った。そこでルネッサンスはキリスト教から人間を奪い返し、人間らしき人間をつくろうとしたのである。ところが行き過ぎて神と人間の分離を惹起し、人間の発見はやがてデカダンスな人間の発見に変わり、瀕死の人間を見出すことになった。確かにルネッサンスは人間性の発見とその確立に誤った。近代啓蒙思想と文化を摑んだ人間像は、人間性の否定が含まれており、性悪的なものが加わっている。それは奴隷を肯定し、神を否定したものである。かくて、出来上がったものが奴隷根性と従属精神である。そして多数決と合理主義であった。その所産として成り立ったのが唯物主義と実証主義である。しかし、それは何れも創造的個性の涸渇を意味するものばかりであった。そこには精神的荒廃と深刻なる対立分裂があるだけである。近代思想と文化は神と精神を退け、魂を質入れして悪魔と奴隷を受取った。彼等が発見したのは人間ではなくて機械と技術である。それは人間性と個性を破壊し、精神的自由と創造力を削減し、人間そのものを見失ったことを意味する。そこに見出されるものは人間と人間の関係でなく、神と人間の関係でもない。機械と人間の関係だけである。人間と人間の間に機械が座り、機械が一切を計算し決定している。この物質主義のために人間は人間を捉えることが出来なくなり、精神の作用をもつことが出来なくなっている。全てが利害と打算で動かされ支配されるようになっている。これがやがて習慣となり機械的生活となって精神を麻痺させ、制度を硬化させ、有機的作用を否定し抹殺したのである。実証主義はあらゆる神秘性を暴き、尊厳にして神聖なものを傷付けた。そして機械と技術は有機的作用と生命を破壊した。
 ベルジャエフはこのことを次のように述べている。「そこからでてきた個人主義と社会主義は、今や最悪の存在として人間に迫り、人間性と個性をそこない、暗黒を展開せんとしている。人間の本体というものは、人間的多様性のものに神的統一を見出し、そこに精神的具体化をはかることによって与えられるものである。ところが近代は人間をこの具体的なものから引離した。従って、不可避的に過激なる個人主義と社会主義に至らざるを得なかった。そしてこれは、社会と人格との抽象的分解の二つの形体、すなわちニーチェとマルクスにおいて、自己否定と自己抽象との二つの形になって現われた。ニーチェは自己を放棄し、自己を否定した。彼は近代思想の犠牲者として現われたのである。彼は超人の自己征服を待望した。人間の人格的価値を許さない。超人の人間に対する苛酷を説くのである。超人とは、喪われた神を取戻すものとして彼はこれを求め、代りに人間を否定し見失ったのである。これと同じように、マルクスも人間は階級や集団に席を譲るべきものとして迫った。マルクスは、人間、個性、人格をブルジョアの遺産であると見倣し、これを否定して集団主義に加入することを望んだ。彼は人間、人格に対してその価値を許さない。また人間性を排除し、集団だけが現れた神の地位につく資格があるものと説いた。彼の階級主義は、非人間と反人間と反人間性を求めている。彼もまた、近世の嫡子であり犠牲者であった」。
 マルクスは精神の価値と神の存在を認めない。それを否定することをもって特色とした。社会主義は明らかに自己否定であり階級闘争だけが目的であるというのである。階級が人間に代るのである。従って人間性や人格や個性は否定され、人間はただ社会的集団化のための手段となるだけである。人間は階級闘争のための手段となるに過ぎない。マルクスは、一切の創造的建設的なものを邪悪なもの憎悪すべきものとして破壊にかかったのである。
 近代思想は人間の発見、人間の創造的個性の確立をもって始りながら、その否定をもっている。神を失った人間はもはや人間ではない。神に帰一することを失った人間は内的分裂を起こし、精神的力を涸渇させ、非人間的勢力に屈服してその奴隷となる。そして裏切りと背信と偽瞞を繰返して行くのである。かくて人間は完全な悪魔となり、獣となる。この人間に対する人間否定と神否定が近代の性格である。現代人とは性悪面だけをもっている人面獣心をいうのだ。現代人の称える自由平等人権は神のものでも人間のものでもなく悪魔のもの、人間獣のもの、また性悪的なものであって、人間否定としての自由であり平等である。現代には人間も、自己も、人格もない。そのことさえ現代人は知らないのだ。
 日本の歴史伝統の蓄積は、明治の中頃ーー日露戦争頃までであった。日露戦争を境として、日本人らしい日本人は姿を消した。伝統の否定がうたわれ、懐疑と論理が日本を支配した。そして日本の近代化が伝統否定の上に築かれようとするときに、人間性否定の近代啓蒙思想が文化文明の名で押寄せ侵入してきたのである。ここに日本の悲劇がある。大正、昭和と西欧化が進むに従って日本精神と伝統、そして魂の独立は失われ、行方不明となった。日本人の生活は喪心者として自己喪失、国籍喪失、魂の抜け殻として生きてきたのである。現代の日本人の生活は、神と伝統と中心を失ったものとして、鳥合の衆か獣類の集団か或いは虫けらの生活である。それ以上またそれ以外のなにものでもない。鳥・獣・虫の根性で社会生活と制度、法律を取り扱っているに過ぎない。
 著者が生存法則論を説き、一方に思想運動として「綜合文化協会」をつくり、政治団体として「大和党(国民社会党)」を組織し、国民運動として「国の礎」を編成しているのは神を人間生活に蘇らしめ、伝統を中心とする「人間の発見」を通じて創造的個性のある人間、人間性、人格を確立するためである。著者は西欧伝統および西欧思想の存在価値を否定しない。だが、それを認める前に肯定できる自己、主体、神を確立したいものである。
 日本人の多くは虫や獣の生活以外に人間精神の存在と作用があるのを認めようとはしない。また社会的全存在が人間性を破壊し、創造的個性を否定しているのを知らない。この認識がない限り、政治家は政治を破り、経済人は産業経済財政を崩し、宗教家は宗教を、教育者は教育を、芸術家は美の世界を、学者は知識を、科学者は科学を殺すであろう。米ソと雖もその城埒を越えたものではない。世界と人類は誰が新しき創造力をもって方向づけるであろうか。世界の問題は暫らくおき、日本は一体如何にすべきであろうか。それはもはや尋常の手段方法では出来ない。起死回生の道は唯一つ、失われた神の道を切り開くための革命、維新、革新の闘いが存在するのみである。

   昭和三十四年十月一日

                                     著 者

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     第二版 自 序

 初版は、昭和十九年敗色濃き南方戦線(インパール戦)にあって祖国への遺言書(戦死を覚悟)として執筆したものである。当時斯書が私にとって生涯中前にも後にも世に遺す唯一冊であると思っていた。

 いわゆるライフワークであった。

 二十一年七月生還後予想した通り、日本は思想的に大混乱を生じていた。故に、生存法則論を立場として、生存競争に荒狂う共産主義陣営(総評・日教組・朝連)と闘いながら、更に筆を進め生存法則論全巻の執筆にかかったのである。

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     自 序

 人類が禁断の智慧の実を喰ってから人知の発達は、他裁批判を伴って遂に偉大なる原子科学にまで到達し得たが、反面情操心性の自覚、内省、自制、自裁の内面的向上は遅々として進まず、今だに人は人間というより、寧ろ獣に近い状態を続けている。
 所詮人間とは神と動物との中間的存在なのかも知れない。神の要素を含む精神と、動物の要素から組立てられている肉体との結合が人間という存在なのであろうか。肉体の満足と物質的関心に傾いた有史以来四千年間に八千件余の戦争を記録し、戦争の期間が平和の期間よりも五倍も長く、而も地球上に戦争が完全にない状態に於ける平和の期間は長くて五年であったと云われている。近代を代表する資本主義下の勝利者階級の持つ適者生存、弱肉強食を見ても、また共産主義者の性格である破壊、狂暴、呪詛、怨恨振りを見ても、そのどこに人間的神性が認められるであろうか。畢竟人類は原子力を生存に利用せず、人間獣の群が権力と合理と多数にものをいわしめ、原子力戦を若起し、相互に殺戮し合うまでのことであろう。恰もマンモスや爬虫類が闘争の結果滅んだように人類も滅ばねばならぬ。人類が前世紀動物の運命を脱却せんと欲するならば、禁断の実を喰わざる以前の世界に突入して、肉体の欲望を制する自裁の方明を、原子力文明とのバランスに於て保たねばならぬと思惟するものである。
 古来より人は人類を救済せんとして武力、権力、宗教、哲学(思想、法治制度)政治、経済をもってしたが悉く成功の城に至らなかった。この大問題を我々は人間にとって最も古く、そして何人にもある基本的な倫理に於て解決せんとしているのである。それは物質界に於て最大の力を発揮するものが、最も小さな原子であるように、精神上の人間の最大能力は最も基本的な倫理であらねばならぬ。この基本的にして最後の解決者となるべき倫理は、禁断の実を喰ってから後の歴史的惰性と、特に現代世界を支配している西欧文明ヒューマニズムのために破壊され無視されている。既に倫理の破れているところに宗教を運び、哲学を作り政治経済を設け、法治制度を立て、芸術、科学を積み重ねても、それは唯人間という智的獣類がそれらを角とし、牙とするだけに終る。原子兵器が獣の角牙でないと反駁出来るものは現代文明の下に於てはない筈である。
 原子力時代に適わしき偉大な能力者・倫理は、共通してアジア各国の神話にこれが説かれている。キリスト教の母ユダヤ神話は「汝裁く勿れ」と云い、印度仏教は等覚と云い、日本では禊祓と云っている。裁いてはいけないと教えているのも、絶対的解脱の境地に達するのだと告げているのも、また禊払を行って自他一体の心境を拓くことを教えているのも、みな天地の公道、人倫の常径を示しているのである。この基本的倫理を立てずして人間を救い、解決することは絶対不可能であると云わねばならぬ。原子は天地の開闢と共に古くから永久に不変の存在である。神話もまた人間と共に興り、人間と共に不変であるべき古い存在の倫理である。この倫理なく、或は知らずして、どうして人間が人間に適わしい共同社会をつくることが出来るであろうか。
 武力統一を試みたギリシャアレキサンダー大王、ローマ大帝国のシーザー、蒙古の英雄ジンギスカン、それにフランスの麒麟児ナポレオンでさえ、また宗教をもって解決に迫った釈迦、キリスト、マホメットでさえも成功の域に至らず、哲学論理と報知諸制度をもって当った幾多の先哲や政治家も遂に人類救済に成功し得なかった。それらはいずれも人間完成のための部分的要素であり、自ら能力に限度があるものであったからである。宗教には宗教の対立と限界があるし、哲学には哲学の対立があり、武力、経済もまた同じであるが、独り倫理にはその限界限度なく、また人間である以上倫理性のないものはなく、倫理の世界には人種も対立も国境も、老若男女の性別もない。その基礎的な倫理も立てず、人間生存の一手段に過ぎない法律などを絶対視し、法治国家であるとか、或いは経済的利害を人間生存の根本だとして、資本主義だとか共産主義だとかいい争うところに治まりのつかない盲点があるのである。
 然し事実に於て人類の歴史は倫理に捨て、禁断の実を喰ってエデンの園を追われ、汚れ穢れた心で他を裁き人をせめて来た。原罪説を認めねばならぬ人間社会を解決するのに他裁である限り、神も無力であり、哲学も冗舌でしかあり得ない。また経済は強奪と代り、科学は凶器となり、権力は自我の奴隷となるに決っている。自裁の倫理が地上に発見されなければ、原子力は人間殺戮のために火を噴くであろう。倫理が明徴にされてこそ宗教が成立し、哲学倫理が成立し、政治経済が成り立つと思う。倫理の面から現代国家の是非を批判し、哲学、科学を判断するとき初めて平和の問題、戦争の地上清算が成り立つのである。現代世界の支配者ヒューマニズム西欧文化が、アジア大陸を発見してから長足の進歩を遂げた如く、今日西欧人はアジアの倫理に於て第二の発見をなし、方向転換を遂げなければ、終に原子力のために焼殺されるであろう。世界人類の解決はただこの「倫理」の一点にかかっている。
 筆者は学究社ではない。寧ろ行動人として生き抜いて来たものである。思想戦国ともいうべき昭和の初年に天皇共産主義の問題で苦しんでいたとき安部磯雄先生は「貧乏を地上から払拭するために社会主義を立てるのであって、必ずしもソ連邦の如く国体を潰滅することを目的とするものではない。共産主義は富の平等を実現し得ても権力の自由を万人のために確保することは出来ない。私共が社会主義を奉ずる所以は、富と権力の自由平等を万人のために確立したいためである。社会主義は決して、天皇と衝突するものではない。このため半生獄中で闘うも可、或いはまた現実生活に適応し乍ら生き抜くも可、ただ日本の社会主義は軍部と警察に理解されなくては発展の余地がない」と教え訓して下さった。
 政治学、経済学を早稲田大学に学び、社会主義者として安部磯雄先生に接し、後、政治史、哲学史を飜くに及んで、スピノーザ、ベルグソンに親しんだ。満洲事変後大陸にあった筆者は、中国思想の根本的研究の必要を感じ、安岡正篤先生に師事し、後、仏教を学んでその高さと深さを知った。然し迷える我を解決したものは吾が魂の郷里である倫理即ち惟神大(かんながら)であった。
 南洋から帰って来た親友伊藤友一氏と二人で伊豆旅行に出かけ、ここで日本の大革新案を策したのである。「日本が滅亡しつつある真因、徳川封建制の鎮国政策に反動して西欧模倣に狂い、帝国主義的侵略をアジアに加えて、その挙句欧米と激突したことにある。国内に於ては過度の模倣の結果、知識を自己の骨肉とする能わず、生命のない字引となって立身出世をのみ争い、同僚を排斥し上位を凌ぎ下級の者を軽蔑し、社会国家を踏台とする悪風が滔々として尽くることなく、何等人格識見を磨かず、功利打算あって国家なき状態が国を破る所以である。我々はそのため新党を結成して大革新を断行しなければならぬ」欺くして其の行動母体としてアジア同盟が生れたのである。アジア同盟が上海にあって日華事変に肉迫し、その解決を日本の革新に求め、中国革命に探ねた努力は決して誤りではなかった。アジア革命としての事変は必然アジア人の解放をもたらし、西欧の反省を促すものでなければならなかった。従って革命の手段方法は武力段階より政治段階へと進み、社会生活革命段階へと推進せしめなくてはならぬものであったにも拘らず、日本の当局は事変の目的を知らず、歴史的意義を理解しなかったためやたらに戦争するのみであった。国際的同志たりし周仏海(国民政府首相行政院長)と熊剣東(上海保安指令)は日本は負けないだろうけれども勝つことも出来ない。要するに武力段階の終止なくして日華の未来はなしを断じ〝我等中国人同志は重慶政権と交渉するから、日本側同志は日本政府及び軍部に当れ〟と主張するのであった。我々はこれを了とし事変解決法案を作成して軍首脳部、政府要路を説いた。即ち六ヵ月以内に全面撤兵して中国と和すべし、更に蔣介石を起用してルーズベルトを説かしめ、日米戦の和睦を計らしむべきであるというのであった。時は昭和十八年、憲兵隊は我等の行動を共産主義の潜行運動なりと断じ、領事館は流言蜚語の罪をもって追い、政府は反戦主義者として圧迫し、捕縛の危険が刻々身に迫って来た。このとき幸か不幸か召集の命が降り、敗色濃き南方戦線へと拉し去られたのである。
 身命を注いだ重慶工作も余儀なく中断せられ、同志を日華の各地に残して南方戦線に向った。砲煙弾雨の中で祖国日本への遺言を認めた。渡南の海洋にありて「死すればこれを遺言とし、生あらば維新の灯光にせん」と筆を執り、終戦帰還の日まで三年有余月間先陣の一時一時に書いたのが本論文である。戦う心を乗せた海原も、敗惨に傷付く心を送る南洋も同一のものであり乍ら、生還を喜べぬ心で結論を書き上げた。昭和二十一年の真夏の海を渡る心は寒かった。然しそれにも増して新たな悲痛は無二の親友伊藤氏がビルマ戦線で戦死していたことであった。又肺疾で寝ていた同志鈴木が敗戦の打撃で発狂し、また荒木大将は縛され、政治工作で解決を頼むと握手した梅津、板垣の両将も死刑を俟つ身となり、周仏海は獄死し、頭山翁も既に亡く、老いたる恩師安部磯雄先生と萱野長知氏が涙して迎え、恩師安岡正篤先生と先に帰国していた同志が励まし鞭撻してくれた。安部、萱野両先生は間もなく世を去った。安部先生の、地上より貧乏を退治して人間を救え!! の教えと、「天皇と中国を忘れるな」という臨終の萱野先生の涙と声は、今尚筆者の眼底耳朶に残っている。
 第一章に於て生存法則の原理を、宇宙理法の人間的行為化として捉え、抽象的な神としてではなく宗教や意識に汚されぬ以前の人間性を倫理として神話の内に発見し、宗教をその基盤に成り立ててその価値を説き、知識哲学を倫理宗教のなし得ざる面の開拓者とし、更に科学をもって倫理の再現を立証させた。
 第二章で自然科学と人文科学との不可分的な関連について説いた。
 第三章では日本神話と思想の偉大さを説明し、原子力を武器にせず、生涯に使用せしめる程の社会科学は、ただ日本の倫理と思想であると断言した。宗教上の神は全知全能の意識を有する神であるが故に対立するが、倫理上の神とは宇宙理法であり、それが人間の行為の内に顕現されるものであるから対立なく闘争がない。然るに世界人類は未だこの理を知らない。日本のみ古来その理を知っていた。
 第四章は東西両洋の思想的比較と価値を論じ欠陥短所を分析批判した。
 第五章は人類を統一するものは、武力、権力、法律、制度、政治、経済、思想、哲学、科学等ではなくして、それらを諸条件として綜合し統一し運営する人間生存の基本たる宇宙の理法を倫理であると決定し、修身、斉家、治国、平天下とそれぞれ倫理を基盤とする機構を説いて結論に入った。
 自然力を相手とする農業時代ならば倫理、宗教、教育の精神的要素で人間生活が十分であるが、商工業時代に於てはそれのみでなく経済が当然必要となって来る。而し今日に於ては共産主義も既に古く、況んや資本主義に於ておやである。両社は蒸気機関時代の産物であって、電子や原子生産時代には何等の存在意義もない。それにも拘らず資本主義国は資本主義を固持し、共産主義国共産主義を死守して互いに譲らない。前者は貧富の差と平等・統制を失い、社会不安を生じ秩序を破壊し、後者は欲望、希望、理想、自由と創造を無視し衰退する。凡そ人類史に関する限り、物質を自由に所有してはならず、反対に精神世界にありては自由と創造が尊重せられなくてはならぬ。この意味で個人の自由を主体とする自由経済(資本主義)も、社会の平等と統制を主張する階級経済も否定され、各国が世界的に所有の均衡を保ち得る民族自治による世界統一的一体機構を成り立てねばならぬ。従って民族国家の自由を主体とする世界経済の実現を具体的に計画するものである。所謂民族経済の確立である。
 本書は戦陣の中で認めたものなるが故に、重複しているところ多く、心して簡明にしようとしたが、政治活動に東奔西走していたため、完璧を期することができなかった。

    昭和十九年三月十日

                                戸 松 慶 議

   (43 43' 23)

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     序 文

 生存法則論全篇拝読いたし非常に感銘を覚えました。この思想により同志の方々の所信を固めて大衆に接する宝典たらしめんとする御趣旨は達せられることと信じます。尨大な御言説を党活動の間に御纒めなされました御努力のほど唯敬服の外ありません。就中ヒューマニズム批判は恐らく我が国では先鞭をつけられたものと存じます。私は腹案はできていますが内容未整にて、いつの頃発表出来るか不明なるところ、貴著によって第一声を世に問われましたことは非常に心強さを感じています。祖先伝来の尊い道統を知らないで、これを悪罵するヒューマニスト一連の無知識人等がこの生存法則論をいかに待遇するものかが見ものと存じます。大和党は須らく明治維新に於ける西郷南洲大人をもって御自任ありたく、一日も早く勝海舟大人を御発見されることを念じ上げます。同時にまた大和党は世間に渡る喧嘩争闘の悪風を掃い除く乱世鎮定の第一先陣たる聖なる任務を完遂せられますよう唯々念願して已みません。

   昭和二十七年六月二十四日

                          元京都大学教授・満洲建国大学総長
                               経済学博士
                              作 田 荘 一


   (43 43' 23)

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     序 文

 他人の著書を読んで批判する物は沢山居る。然し確乎たる自分の思想を持って、之を人に主張し人の批判を聞く者は誠に少ない。政治家の愚劣を嘲笑したり、社会の罪を指摘したりすることは誰にもできるが、自分というものを反省したり恥じたりすることは案外しないものである。何時の世も、それが乱れれば乱れるほど、得々として時世を評価するが、さて自分はその時世を救う為の努力らしい努力は一向にしない~三国志に所謂「座談の客」の何と多いことであろう。こういう中に、自分の確乎たる思想信念の下に、要するに何にもならぬ「座談の客」たることを潔しとせずして、身を挺し、労に甘んじて、世のいかなる嘲笑・迫害にも屈せず、救いの道を説いて、一つの風を起こすような人物は何んと少ないことであろう。こういう人物が有れば、その人は才と不才、器の大小などに拘らず、とにかく偉い人物である。その点で私は心中久しく戸松君に変わらぬ敬意を抱いて居る。
 凡て革命家、社会運動家にはありがちな性向であるが、之等の多くの人々は法令制度や政策の批判をさせると、実に鋭くて、どんなに偉いことの出来る人かと思わせるけれども、その人自身は厭に高慢で、ぎすぎすした、潤いというものが無い。こんな人間の手にかかるより、平凡で善良な市民と共に泣きも笑いもして居る方がまだ満足だと思わせるようなのがざらである。そうゆう人間に限って、自分の言うようにすれば、世の中が一変に良くなって、民衆は皆幸福になるのだが、自分の言うことなど一つも分からぬ輩がのさばって居るので、人間は救われないのだと言わんばかりに論じたてる。所謂全面的完遂主義者である。事実は却ってこういう連中の為にどれほど世の中が乱れ、民衆が苦しめられて居るか分からないのである。
 戦時中(満州事変後)初めて戸松君が訪ねて来た時、私は君もそういう仲間の一人ではないかと予想しながら、兎に角会って見たのであるが、私は一件して君が所謂一生の、精神的な資稟であることを直観して、愉快に応接した。そして語りあって居る裡に、能く自分を省みて、道を求める謙虚さや、非常に閃く頭脳の持主であることを発見した。その反面若さに免れる生々しさや所謂驕気・熊色・多欲というよなものを感じたが、終戦後、君の人物は長足の進歩を遂げたようである。今までに見られなかった練熟味や余裕がほの見えて来た。社会の頽廃と共産革命運動は、君の精神と努力とを傾注すべき好敵手を生じた。君はこれに依って更に猛然たる気魄を奮い起して、座談の客を後目に活動を開始した。それと共に善いことは、東奔西走の間、よく出来ることだと思うほど読書し執筆した。去年私に見てくれといて提示された原稿は数千枚に及ぶ尨大なもので、私に一驚を喫せしめた。私はそれを数ヵ月の間(その間・君は始終大和党の説遊と組織に奔走して居った)預って置いて、閑を愉しんでは拾い読みし、君の思索と見識の進歩に深く打たれるものがあった。維新の志士があの交通不便な時代に、あれほど奔走しながら、その間に遂行した学問著作にも驚かされるが、戸松君も確かにその亜流である。戸松君はそのまま出版を企図したが、何しろ多忙な奔走の間の労作であるから、煩雑であったり、疎笨であったりする嫌いを免れぬので、大幅に整理し、統一することを勧めた。その結果が尚この力作になって居るのである。勿論厳格な思想学問から細見すれば色々論評せねばならぬものも多いが、とにかく当代稀に見る活人の活書である。私は常に同君が愈々大成し益々精進されんことを祈って居る者の一人である。

   昭和二十七年五月三日独立記念祝典の夕

                          師友協会会長・東洋哲学思想碩学
                              安 岡 正 篤

   (43 43' 23)

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生存法則論 第二巻 思想篇 戸松慶議著

     序 文

 この論文は難解で年老いてから読破することはなかなかの努力が必要で、とても全部を読むことができなかったので各章ごとに著者から説明して貰った。全く新しい見解であるから相当社会にセンセイションを捲き起こすであろう。しかし、これを日本で普及することはなかなか困難である。なぜなら日本人同士はお互いに日本の価値を認めないからである。その点アメリカは世界的包容力に富んでいる国である。これを理解させることができれば、相当の援助者が現れ普及を手伝ってくれるであろう。著者戸松君を知ったのは昭和八年であった。社会主義天皇の根本的問題について苦しんでいたように記憶する。私は大変いい真面目な学究的質問だと思った。それ以来、交渉が深くなり殊に思想がめきめき発展する戸松君の素質を知ってからは高田本町の書斎を任せた程であった。長い教授生活の中でも戸松君程印象に残った人はいない。知力、人格、手腕、見識殊に意志強固の点に就いては敬服する外はなかった。

   昭和二十二年五月

                         元早稲田大学教授・日本社会党創設者
                              安部磯雄

   (43 43' 23)

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