いしずえ

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2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

柊原青年団の歩み

五、青年団活動 大正十三年、垂水村は垂水町となり、教育の面でも特に社会教育のための施設整備が遅れていた。従って、柊原校区でも支部毎に(上支部=鬼山ー並松)(中支部=上比良ー下中村)(下支部=上市之園ー下)、集会場を作り、そこを青年達の育成の…

柊原青年団の歩み

四、消防と夜警 柊原は昔は茅葺屋根がほとんどで、火災が起こると大火になることが多かった。 柊原では大正元年にも大火があり、人々は火災の恐ろしさをじかに感じ、火災を出さない方法はないかと考えた。その為には、お互いが火の用心をすることが大事であ…

ギリシャの文化

ギリシャ民族が、南ロシアからギリシャの地に侵入して来たのは紀元前一千年を遡る時代のことである。彼らはゼウスのような男神を崇め、父系的父権組織をもった遊牧民であった。彼らがギリシャに侵入して来たとき、エーゲ海には先住民がいて、クレタ島を中心…

印度思想

前八世紀頃まで、三ヴェーダ(リグ以外のサーマ、ヤジュル、アタルヴァ)本集も成立した。アタルヴァ・ヴェーダは呪法を主とするもので、先住民族の土着文化と密接な関係がある。これを主管する祈禱僧は祭式全般を総監する祭官たる位置が与えられた。このバ…

柊原青年団の歩み

三、学舎の創設 明治十一年、柊原小学校が創立され、同三十四年に第一代の専任校長として真川校長が花岡村より赴任された。 真川校長は、当地が前任地に比べ、普通教育、社会教育共におくれていることに気付かれ、特に学校を卒業した青少年の将来を考え、青…

印度文化

父系的父権社会組織を有する遊牧民インド・アーリア人が西トルキスタンから西印度に侵入しインダス河上流の五河地方を占拠したのは三千三百年前頃である。当時の印度には農耕を営み村落を形成し、地母神を崇め、母系的母権社会組織を有する先住民族が存在し…

侵略と征服

都市国家が成立し文明が興るにつれて、その周辺の半農半枚の民、或いは遊牧民は都市文明に引き寄せられ、その文明を採り入れる。やがて軍事的侵略者となって都市に襲い掛かり征服する。 鉄器の採用と共に、中央集権的大領土国家が成立してくると、人類は常に…

文明のおこり

青銅器は五千年前メソポタミアで発明され、四千年前頃、印度に伝わり、三千年前中国に入った。鉄器もメソポタミアで三千年前頃発明され中国に伝わったのは二千五百年頃であり、日本に入ったのは二千年頃である。人類の一部が、発明したものは、他の人類によ…

柊原青年団の歩み

二、柊原青年団の創立 若い人の集団である二才会から青年会の青年団と名が変わったのは不詳であるが、古老の話しでは、日露戦争の頃、明治四十年代には青年団の組織があったようだという。 垂水の青年会は村制が施かれた明治二十二年頃ではないかと思われる…

都市の始まり

五千年農耕牧畜及び野生動物の家畜化が盛んに行われると共に、その集約された豊かな生産力の上に人類最初の都市文明・古代東洋の都市國家が姿を現した。印度文明・中国文明がそれである。西方ではギリシャに興った。 (43 43' 23) 人類思想の歴史と未来

神話のおこり

人間は生まれ、生活し、そして死んでゆく、正しく生きるにはどうすればよいか、という想念が神話の形で描かれたのである。神話は混沌とした現実に、秩序を与えるために創造されたものである。神話は、人間の生存と秩序あるものとして見る努力と意欲の中から…

柊原青年団の歩み

一、二才制度 県教育史によると、島津家分国法ともいうべきものに、忠良、貴久連判の掟(おきて)と、忠良が義久に与えた「諫議(かんぎ)書」などがあり、その掟の一条に「諸士衆中忠孝の道、第一に相守り、五人与(ぐみ)中むつまじく可交事(まじわるべき…

思想の歴史

第一章 人類史の始り 人類の歩み二千万年 人間唯生きるだけのものならば、動物・植物と同じである。動物も植物も人間も生命をもって生きていることに於いて共通であるからである。人間と動物の違いは、生命より派生した属性の考へる理性、感受する感性、眞実…