五、青年団活動
大正十三年、垂水村は垂水町となり、教育の面でも特に社会教育のための施設整備が遅れていた。従って、柊原校区でも支部毎に(上支部=鬼山ー並松)(中支部=上比良ー下中村)(下支部=上市之園ー下)、集会場を作り、そこを青年達の育成の場、活動の拠点としたが、これ等の施設も戦災で焼失した。
昭和の初期から同十五年頃までは、青年団の組織も整い、よく機能し、年一回の校区青年団運動会や奉仕作業、町青年団連合運動会等その活動も活発であった。
また、組織も下部は集落青年団から、町、県、全国と連なる連合組織と変遷していった。
これまで行われていた体育行事等も次第に軍事色の濃い活動となり、垂水でも小学校卒業後は、週一回軍事訓練を受けるようになり、内容は主に軍事訓練と一般教養の科目が課せられた。
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