いしずえ

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ギリシャの文化

 ギリシャ民族が、南ロシアからギリシャの地に侵入して来たのは紀元前一千年を遡る時代のことである。彼らはゼウスのような男神を崇め、父系的父権組織をもった遊牧民であった。彼らがギリシャに侵入して来たとき、エーゲ海には先住民がいて、クレタ島を中心とするミノア文明は、紀元前二千年以前から栄えていた。この文明の担い手は、黒い髪と黒い瞳をもち、母系的母権的習俗をもち、豊饒と生殖の母神を崇めていた海洋民族である。彼らはエジプト、バビロニアと交渉があった。ミノア文明はクレタ島以外にシシリー島やスペイン、エーゲ海を制圧し、ギリシャ本土に影響を与えていた。この文明はバビロニア、エジプトの文明と共に地中海々域文明の一環をなすものであった。

 ギリシャ人は、紅毛碧眼の蛮族として北方からギリシャ半島に現われ、ミノア文化の影響を受けてミュケナイ文明をつくった。この文明は紀元前千六百年以来姿を現し、強大となった。前千二百年ミノア文明は衰微沈滞し、その頃北方から地中海海域文明に対する大きな民族移動がおこり、その一環としてドーリア族が嵐のようにギリシャ半島に侵入しミュケナイ文明の支配者たちを打倒した。この混乱と闘爭の時代にトロアの争奪戦がおこった。

 ギリシャ人は本土からエーゲ海に乗り出し、盛んに進出を開始した。小アジアの沿岸から、西南はイタリア及びシシリー島の沿岸、さらにスペインの沿岸まで進出した。このような地中海沿岸におけるギリシャ植民都市の建設は、ほぼ前六世紀に至る頃までに完成された。ギリシャ民族発展の先頭に立ったのは、小アジア沿岸のイオニア族の植民地都市であった。彼らが崇めるオリュンポスの神々は、やがて全ギリシャ民族に崇められ、民族的同胞感を培かったのである。曾ての野蛮な神々や、乱暴な武将たちは浄化され理想化され、また先住民の豊饒と生殖の女神たちも、オリュンポスの神々の伴侶として迎え容れられその呪術的な密儀や供犠は、新しい装いの下に、ギリシャ社会主義を規定するものとなった。そしてそれは前六世紀以降のギリシャ哲学の中に反映されている。支配層の現世主義的合理的思考法と農耕に勤しむ民衆の生命主義的神秘的観念とは、ミレトス派以来のギリシャ哲学思想の展開の中を流れている。

   (43 43' 23)左記の暗号については、当wiki真理学研究所を御照覧下さい。

         

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人類思想の歴史と未来