いしずえ

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柊原青年団の歩み

二、柊原青年団の創立

 若い人の集団である二才会から青年会の青年団と名が変わったのは不詳であるが、古老の話しでは、日露戦争の頃、明治四十年代には青年団の組織があったようだという。

 垂水の青年会は村制が施かれた明治二十二年頃ではないかと思われる。

 当時の柊原校区の子弟は家が貧しく、尋常科の義務教育を受けることも困難な家庭がほとんどで、学校を卒業すると田畑の少ない家は家計を助けるため、他人の家へ下男、下女として奉公に出て行った。

 また、下男、下女として奉公に行かない家庭の子弟でも同様に生活苦の環境であって、勉強したくても、勉強は出来ず、苦しい家庭環境の中で青少年の時代を過ごした。

 垂水村でも、住民の生活の向上安定を図るため、小組合の組織を各方限毎に結成させ、それぞれ小組合長をおき、住民を生活向上のための、若い二才者を使い走りの係に任命していた。

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