2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
篠原仁先生 侍史 拝復 日頃何一つ御恩返しができないまま、惰眠をむさぼり申し訳なく老骨が身にしみる毎日でございます。 さて、今日も貴誌「いしずえ」を御届け賜り、早速拝読させていただいております。 昨今の課題では、クリミア侵攻に腹を立てる以前に竹…
堀下夫妻はベットに並んで腰をかけ、夫人は眼をかがやかせながらしきりに話しかけている。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-827.html
新しい家族 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-826.html
この家には、戸松の外に大勢の人が住んでいた。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-825.html
戸松の家は、上海の西部にあたる滬西区にあった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-824.html
わたくしは、この国の民衆が彼等の力ではどうすることも出来ないような歴史的宿命にしばられて、希望も誇りも気力もなく、不幸な自己喪失者になっていることを、上陸第一歩に感じとった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-823.html
自由とはいったい何であろう……。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-822.html
世人は、口を開けば政治への風当りは舌鋒鋭く特に、時の政権への批判、誹謗、中傷は止どまるところを知らない、よって我が国の政権はここ数年、一年に一人の割合で交代劇がみられた。世界に類のない不安定内閣が助長されている。将に、日本の足を引っ張って…
この国においては、古くから政治は治水にはじまるとされ、世界史的に古い文化を生んだ黄河の沿岸は、洪水とひきはなして考えることは出来ないとさえ云われている。http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-821.html
未知の国中国への第一歩 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-820.html
先生は単に戸松の先輩であったというばかりでなく、その思想は、次の時代の文明思想の先輩であり母体でもあった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-819.html
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古い時代と未知の新しい時代を、最も強烈に表現しているこの個性の強い老女と青年の間にあって、わたくしは生涯この十字架を背負って行かねばならない事を感じとった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-816.html
おそらく安部先生の老成したその心は、自信と自我と欲望にみちた母に対して、憐憫を感じておられたにちがいない。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-815.html
彼女は先ず、二、三日おきにやって来る御先祖の命日に悲鳴をあげてしまった。その日は精進をしなければならないのだが、精進料理などには無関心だった彼女は、一つ一つの指導を受けねばならなかった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-814.html
ところが、幸か不幸か子供達は小学校を出るとそれぞれに家をはなれ寄宿舎に下宿に、のんびり青少年時代をすごしてしまったので、身についていたものも社会の風に吹きはがされ、伝統も躾ももたない植民地的人間に変じてしまっていた。 http://kuninoishizue.b…
個人にしても、家庭にしても、国家にしても、興亡の歴史は循環するものである。衰亡の一途をたどっている時は、いかにもがいても救いの手をさしのべる者はいない。ましてや、せまい土地にひしめき合っている山陰の片隅においては……。 http://kuninoishizue.b…
父の死とともに、まるで福の神が一緒に去ってしまって、貧乏の神と病気の神が手をたずさえて入りこんで来たように、次々と苦難がつづいた。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-811.html
赤と黒ほどに性格のちがう母子ではあったけれども、この一点だけでも母は尊敬と信頼に価する存在であった。なぜならば、それは高く純粋に生きることを意味するものだからである。夫の肉体はほろんだ。然しその精神を自分の胸にいだきとって、夫婦としての限…
3.11以来、今日で丸三年である。あの大震災で罪無き人々が、災難に見舞われて、二万人近く亡くなった。生き残った人々の多くは家屋を流され、今も二十万以上の人々が居場所を失い、全国津々浦々に飛び散り、転々と人目を気にしながら心の放浪を続けてい…
http://wwws.warnerbros.co.jp/giovanni/
いよいよ葬式の日、母は又納戸の二階にあがって鏡を前にくずれるように身を倒して、しばらく泣いていた。わたくしは黒木綿の紋付の上に、袴をつけていた手をとめて、胸のつまる思いでそれを見まもっていた。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-8…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4
そして一番重大な問題は、云うまでもなく第九条である。極端に云えば、自衛隊を存続するなら改正しなければならず、現行憲法を保持するならば、自衛隊は破棄しなければならない。現在、激しく揺れ動く国際情勢の中で(特に近隣諸国)現行憲法を守るのが先か…
ところが夏の或夜、父はひどい雨にびしょぬれになって帰ってきてから、床につきはじめ、日に日に衰弱を加えていった。多分、日頃人知れず悩んでいた心労が、一度に出たものであろう。食事をとることも出来ない日が数日つづいたかと思うと、人々の予期を裏切…
ところが不思議なことに、この機械船が、勢いよくとんとんと港の近くを走りまわるようになると、いわしの群がさっぱり近寄らなくなってしまった。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-807.html
島根県石見地方の中程にある太田市は、戦後近村を合併して大きな都市になったが、戦前は一握り程の小さな町であった。わたくしの郷里はこの太田市に併呑された村の一つで、日本梅にのぞむ半農半漁の貧しい土地であった。 海に面した半分の村民は漁業にたずさ…
http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-805.html
若い頃は、学問のためには子供達を、自分の膝元からはなすことなど平気な母であったが、六十歳を数えるようになると、子供に対する愛着が強くなり、たえず子供の身近かにいたかったようである。 http://kuninoishizue.blog.fc2.com/blog-entry-804.html