いしずえ

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2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

柊原婦人会の歩み

二、婦人会の主な活動 婦人会の一年間の主な行事は、学校参観、学芸会、運動会、作品品評会等であったようです。大正時代は、月一回必ず会合がもたれ、運動会ではいつも線香とぼし競争が婦人会の競技種目であった。 作品の品評会は校区や村内のものがあつま…

柊原婦人会の歩み

一、昔の婦人会(思い出) 大正から昭和の初年代の校区婦人会について記憶をたどりながら記述すると、婦人会の発足は不明であるが、大正年代、婦人会が学校であり、その日は母が朝早くから髪を整えたり歯を黒く染めたりする姿を思い出す。 昔の婦人会は男子…

中国文化

紀元前一四〇〇年頃黄河の支流河南以西の高原地帯に農耕文化が開かれた。やがて下流にわたる華北平原に展開されるに至った。黄河の氾濫は河筋をたえず変え、治水は眞に困難なものであったに違いない。黄河の下流にわたる華北平原に展開された農業の豊かな生…

柊原青年団の歩み

十、農村の過疎化 日本の産業が復興するにつれ、労働力がますます不足し、そのため、都市への若年労働者の流出が多くなり、中学校卒業生の金の卵といわれ、卒業と同時の男も女も都会へ出ていった。 一方、高校や大学への進学者も暫時増加し、進学のために出…

柊原青年団の歩み

九、教育制度の改革と青年団 昭和二十二年、新しい教育制度によって、これまでの国民学校から小学校となり、その上に新制中学校がおかれ、義務教育も小・中学校九ヶ年となった。また、中学校の上に新制の高等学校が設置された。 しかし、その頃は義務教育ま…

柊原青年団の歩み

八、青年団の再建 やがて人々は敗戦の虚脱状態からぬけ出し若い人達も祖国再建の目標に向かって、夜毎の話し合いの中から青年団の必要性が高まり、各地で青年団が組織され、活動も活発化していった。 昭和二十五年朝鮮戦争が起こり、日本は軍需景気で、都会…

柊原青年団の歩み

七、終戦と復員 敗戦という戦争の結果、生き残った者も裸一貫で故郷の土を踏み、帰郷しても寝る家も食べる物もなく、途方にくれる日々が続いた。 国破れて山河ありで、同じ所で生まれ育った者同志の深い人情が生きるための、頼みの綱であった。 敗戦後は、国…

ギリシャ思想

神話的世界観が思想・哲学として形成されてゆくためには、合理的思考法が必要である。しかし人間の生活は多くの非合理性を含み、非合理的な諸条件の中で営まれるものであって、合理的思考法は、非合理的理法を明らかにし、それを排除し、押し退けるのでなく…

柊原青年団の歩み

六、戦時下の青年団 昭和十二年日華事変が勃発し、そのため国内でも軍需産業が盛んになり、今まで農業をしていた者も都会への流出が多くなった。 また、軍では一般徴募兵では軍人の不足から陸海軍共多くの志願兵を採用した。従って農村では徴兵、志願兵が多…