昭和十二年日華事変が勃発し、そのため国内でも軍需産業が盛んになり、今まで農業をしていた者も都会への流出が多くなった。
また、軍では一般徴募兵では軍人の不足から陸海軍共多くの志願兵を採用した。従って農村では徴兵、志願兵が多く、若者達が少なくなっていった。
戦争が長引くにつれ、国は総動員令等を発令し、農村でも男は殆んど徴兵され、最後は女子も挺身隊の名のもとに軍需工場などに駆り出され農村には人影が少なくなっていった。
戦争の激化するにつれ、多くの将兵が戦死し、柊原でも出征した多くの若者が命を失っていった。
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