二、婦人会の主な活動
婦人会の一年間の主な行事は、学校参観、学芸会、運動会、作品品評会等であったようです。大正時代は、月一回必ず会合がもたれ、運動会ではいつも線香とぼし競争が婦人会の競技種目であった。
作品の品評会は校区や村内のものがあつまって手作りなら何でも良く、農産物では乾燥大根等まであったようです。
柊原の農業は、三反百姓と呼ばれ、作物はいつも栗、麦が主で、それも自分の家の一年間の自給が出来る家は少なく、それでも一年中働かなければ一家が食べていくには困難であった。今一つは、どこの家庭でも子供が多く両親は子育てに一生懸命であったが、子弟を上の学校に通わせる力はなかった。
その中でも母達は苦労の連続で、苦しい生活の中でも婦人会員として俗に言う人並みにみんな会合に出席していた。
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