いしずえ

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柊原婦人会の歩み

三、国防婦人会

 昭和十二年日華事変が勃発し、戦線は次第に拡大していった。

 陸軍も初めは現役兵だけだったが、戦線の拡大につれ予備兵も出征し、多くの男子は戦場に出ていった。

 連戦連勝の声のもとに、国中は喜びの声で沸き立っていたが、一方では悲しい戦死の報せが毎日のように伝えられ、多くの英霊が無言の帰還をした。

 戦時下婦人会も銃後を守れと国防婦人会と変わった。

 婦人会員も、今日も明日もと戦死者を弔う会、出征兵士を送る会等で多忙であった。

 「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは、手柄立てずに死なれようか……」と小さい日の丸を振って見送り、また、出征兵士の武運長久を願って千人針づくりに夜も昼も精出した。

 戦火は益々拡大し、昭和二十年には米軍機の空襲も激化し、日本全土が殆んど焼土と化した。

 国防婦人会員は、白いエプロン姿に国防婦人会のタスキがけで、会員の指揮には男子が当った。

   (43 43' 23)

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