いしずえ

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第五章 近代思想

 十七世紀 人間尊重

 デカルト このルネサンスヒューマニズム運動と宗教改革運動とによって、西欧人は、古代文化の教養人的人間像と原始キリスト教の信仰者的人間像を、自己のものとし、自己の進むべき道を模索しつつ十七世紀以降、本格的に、独自の文明の形成に入ったのである。十七世紀に明確となったのは、理性的人間観である。人間の人間たる所以は理性を持っていることにある。理性は自然界の理法を、すべて明確に把握することができる。とフランスのデカルトは、この理性により自然界の一切を機械的に説明できると考えた。によってデカルトは物体と精神との二元論を成り立て、物体は縱横幅の三次元の場(ひろがり)を本性とするものであるとし、自然的物体から生命的精神をすべて剝奪した。物体は「外からの影響ない限り、その運動または靜止の状態を持続するという慣性の法則によって支配される死せるものとなり物体現象は、すべて数学により規定できるものとされた。世紀末に微分計算法が発明され、自然法則は微分方程式によって精密に記述しうることが示された。それがニュートンである。

 ニュートン
 彼はデカルトの合理主義に経験による制限を加え、有限な人間の理性は、経験と共に歩まねばならない。これがニュートンの経驗的方法である。これによって近代科学としての数学的自然科学の軌道が設定された。そしてこの方法は、十八世紀以降あらゆる学問の分野に適用され、あらゆる学問を、近代科学に転換させる起点ともなり動員ともなったのである。

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