いしずえ

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第三章 古代思想

  プラトン

 ソクラテスの死は弟子プラトンの生涯を決定した。アテネの名門の生まれである彼はやがてアテネの政治指導者の一人となるべき人であったが、傾倒し私淑した、師ソクラテスを祖国アテネが処刑するに及んで政界への望みを断念し、青年たちを教育して次第に望みを托するようになった。前三八七年プラトン四十歳の時ピュタゴラス学園(アカデモス)の組織を参考にして、一つの学園を創設し、ここで以後四十年間教育と研究に生涯をささげた。

 プラトンは師ソクラテス及先師ピュタゴラスイデアまたエイドスを更に発展させたものと考えられる。善とは何か、美とは何か、正しいとは何か。美とは、正とは、善(よさ)とは感覚的なものと、それ自体と二つが考えられる。それ自体がイデアでありエイドスである。感覚的な美は、美自体のイデアがそこに興り、あるからである。

イデアまたはエイドスは感覚的なものの原因であり手本であって感覚的な美はその模倣模写である。イデアやエイドスは超感覚的不可視のものである。感覚的美は生成消滅するが、美自体のイデアやエイドスは、決して消滅しない。永遠に不滅である。本当の美しいもの正しいもの善いものは唯一つしかない。それは常に自己同一のものである。

 イデアの世界は一つしかない。正義のイデア、勇気のイデアは数多くある。感覚的正義感覚的勇気があるのはイデアがそこに含まれているからである。イデアの理想イデアを模倣した行為であるからである。こうしてプラトンは、生成消滅する多様な感覚的世界に対して不変恒常の超感覚的世界、即ちイデアの眞実有の世界を高く掲げたのである。

—―眞実有のイデアは肉眼では見られないもの、唯思惟(理性的認識)せられ、うるものである。—―アガトン(善)のイデアは更に真実有認識することができるのも、善のイデアによる。それは恰も太陽が照らしていることによって私たちの肉眼に感覚的事物の世界が見えるのと同様に、善のイデアに照らされて、私たちの理性的認識は、イデアを認識することができるのである。太陽が万物を育成すると同様に、善のイデアは諸々のイデアイデアたらしめる原因である。

 人間の霊魂は本来イデアの世界に住み、イデアを眺めていたのであるが、現世に生まれて来て肉体をうると共に、すべてイデアを忘れた。イデアの認識とは、この忘れたものを想い出すことなのである。—―真理であることを知ることによって真理であるのではなく、永遠の昔から真理であったことを判るということである。それが真理を想い出すということである。イデアを想い慕い求める「愛慕」を哲学というのである。

 このようにして人間の霊魂は、一方では、イデアの実有の世界に、他方では、感性的な自然界に属している。イデアに向う部分は理性と呼ばれ、肉体に繫がれた部分は、二つに分かれ、上位の気概と下位の情欲に分かれる。これ霊魂の三分説である。—―理性の徳は知恵であり気概の徳は勇気であり、情欲の徳は節制である。霊魂の三部分が、それぞれ徳を実現し、調和が成り立つことが「正義」と呼ばれる。これがプラトンの四元徳(知恵、勇気、節制、正義)説である。

 国家においても第一、知恵を愛する理性的な人々からなる哲人(統治者)があって、立法を司り、国家を統治する。第二、名誉を愛する気概ある人々からなる守護階級があって哲人の統治に従いつつ官史として國法を執行し、軍人として国家の安全を守る。第三、利益を求める情欲的な人々からなる「栄養階級」があって、農民職人工人商人として国家の生活のための需要を充す。

そしてそれぞれの徳は、知恵、気概、節制であり、それぞれの徳を実現し、国家全体の調和を計ることが国家の徳であってこれが正義である。これがプラトンの理想国家の思想哲人政治である。

 国家が乱れ対立相剋するのは指導者(哲人)なく、気概(勇気)なく情欲(節制)なく正義の徳がないからである。

   (43 43' 23)