いしずえ

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柊原青年団の歩み

八、青年団の再建

 やがて人々は敗戦の虚脱状態からぬけ出し若い人達も祖国再建の目標に向かって、夜毎の話し合いの中から青年団の必要性が高まり、各地で青年団が組織され、活動も活発化していった。

 昭和二十五年朝鮮戦争が起こり、日本は軍需景気で、都会は活気づき、人手が不足し、人手の要求が農村にも求められてきた。

 柊原でも、都会への出稼ぎ者が多くなり、時には大きな専業農家の子弟でも都会に働きに出る人もあった。

 一般に柊原からの出郷者は、大阪、尼崎等が多く、圧延関係の工場で働く人も多かったという。

 しかし、出稼ぎ者の多い時でも、故郷に残って農業を営む人も多かった。

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