いしずえ

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序言

 古代は洋の東西を問わず、神を人間の理想像に捉え、自ら神たらんとし、他をも神に尊びかんとした聖人の指導時代であった。人と人との差は人と猿の差よりも甚だしいものである。創造者、天才、英雄は何時の時代でも極めて少数であり、多数は模倣によって人間たり得るものであると人類史は物語っている。一般大衆は狼少年猿少年に見るようなもので、生後猿や狼の中で育てられると猿狼以上には生長しないと歴史家は証明している。人間は人間の中の人間以上の「指導者、天才、聖人、英雄」乃至神なしには生きられないものであり生きてゆくことの出来ないものである。宗教は宗教、芸術は芸術、科学は科学、発明は発明、教育は教育のものであって大衆はその受益者模倣者であるに他ならない。この模倣の受益者多数が多数決の威力で指導者、天才、聖人、英雄の立場に立った時、質は量に破壊され、混乱し方向を見失ってしまうものである。又如何に優れた聖人天才であっても大地の如き大衆に根を張らなければ人の世の指導者にはなれないものである。神と人、指導者と大衆の関係はこれを表わしている。

 東洋における中国の儒教道教、印度の仏教・ヒンズー教西アジアユダヤ教キリスト教中央アジアマホメット教も、西洋のギリシャ哲学も皆神を人間の理想像としながら、東洋は総じて神の系列「聖人、天才、指導者、為政者、治者」に求めたに対し、西洋はギリシャ、ローマは重点を被治者大衆に置いた。前者の東洋は上から下へ、質から量に向ったに対し、後者の西洋は下から上へ、量から質を選び出す方法をとった。それが民主主義を生んだ母体である。民主主義は指導者を選び出すための手段方法であってそれ自体が目的と方向をもったものではない。東洋に於いても孟子はこの傾向を多分にもっている。大衆群衆は頭のない胴体に過ぎない。ギリシャ・ローマ滅亡の主たる要因は治者指導者が大衆に迎合阿附、主客転倒したためであった。

 同じ東洋でも日本は人間が創った神ではなく、宇宙それ自体を神とし宇宙の理法そのままを人間の行為に捉え随神らの道を「神道」としたものである。約言すれば神帰一、中心帰一の理を成り立て天皇を中心に仰ぎ天壌無窮の原理を奉じて来た國である。君主主義でもなければ民主主義でもなく、中心を立て君民一体統合の理念を貫き通して来た国家である。

 中世は、古代の聖人天才の理想を啓蒙する時代であった。中世の仏教・キリスト教マホメット教は寺院、教会を建て僧侶・司祭者・神父が教典をもって神の教義を普及し敷衍を図り、神信仰万能の時代である。いわゆる宗教文化時代であった。

 中国の儒教は宗教というよりは政治倫理、為政者治者の教義というべく「四書五經は政治道徳論」であって天の上帝を祀る宗廟(帝王治者)、各族の祀る社稷(農業神~被治者)祭祀信仰はあるが純然たる宗教ではない。老荘道教も生命論的自然主義神秘主義の傾向が強く、宗教というよりは哲学に近い教義であるというべきであろう。

 日本の中世は外来の文化が奈良朝、平安朝時代を経て鎌倉時代に至るまで仏教全盛時代であり、又制度機構法規は儒教に学んだ時代で、本来の神道は祭祀を掌る他民心を直接積極的に指導することはなかったと云えよう。

 近代は、中世記一千年の宗教時代は宗教家等がその権威に狎れ、動脈硬化に陥り、ルネサンス宗教改革を通じて神中心主義と人間中心主義の流れをつくり、後者が主流となって現代の科学文明時代を開くに至ったのである。それはかつてローマ帝国の辺境の植民地であった西ヨーロッパに於いて創造せられた知的探求の成果がもたらしたものである。

 ルネサンスにおける人間と世界の発見が中世的な、神秘、因襲、迷妄、隷属の世界から人間を解放し、学問を神学の婢から独立せしめ、超越的な権威に対して人道を樹立し、暗黒時代を文明時代とし、人間人格の尊厳を見出し、知性を開発して人類の進歩に大きな貢献をなした。この文明はギリシャの学芸とキリスト教の教義との結合から創り出されたものである。近代文明は、人間尊重の思想・合理主義精神・民主主義社会の倫理の三つから成り立っている。この三つによって発展し著しき進歩を遂げ、正に人類の理想が達成されようとしたその瞬間、暗礁に乗り上げてしまった。古代に於ける幾多の世界帝国は武力権力財力をもって統一を計ったが何れも数百年で崩れ去り、中世は宗教と神信仰によって世界統一と平和を試みた。が、これまた他宗排斥と闘争のため失敗に終った。それが二十世紀後半の現代、全人類的国際的共同社会を現実的に達成する有力手段を摑んだ。それは、今日の「科学機械技術」物質文明である。而しこれも外的には地球破壊を生じ、内的に人間性(倫理道徳)の崩壊に突当り立往生している現状である。

 残る思想文化は、日本の「中心帰一」宇宙理法神道のみである。神道の神は、人間が創造せる神、宗教上の神でなく宇宙理法そのものを神となしその働きを人間の行為となして来た、神より来たる道・神ながらの道をいうのである。

   (43 43' 23)

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人類思想の歴史と未来