いしずえ

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第三章 古代思想

  中国思想儒教道教

 儒教とは儒者の教のことである。儒とは潤す徳化浸潤することをいい、また儒は柔、優で人を安んじ心服させるという意味である。孔子をもってその祖となし、孔子春秋時代約二五〇〇年前の頃のすぐれた指導者(思想家哲学者)として多くの門人を育成し、門人の多くは仕官し為政者として活動し、傍ら多数の弟子を育成して世に孔子の教義を傳道した。儒者儀礼の祭祀を司り指導に当り、民間にあっては礼儀作法の教育に当たった。孔子は礼儀作法ばかりでない修己治人の道を講じ自己完成して君子となり、人に徳行を及すことをした。儒教は倫理道徳的宗教、または宗教的政治倫理であり、政治哲学思想でもある。いわゆる修身斉家治国平天下の教義であるといえよう。その教典は、四書(論語孟子、中庸、大学)五経詩経書経易経礼経春秋経)ー「陰陽五行ー仁義礼智信」であるとされている。

 孔子の時代は周の王朝が衰微し、その威令天下に行われず、礼楽はすたれていた。孔子は周の王朝創業の周公を尊敬し、周公の定めた礼楽を漢賞してその遺訓を学びこれを弟子等に教えた。孔子の教は君子の道である。君子とは群の意である。宗室の大祭宗廟に参列し居列(なら)ぶ者(貴族、賢臣、賢人)をいう。世の指導者及び為政者をいうのである。孔子は先人を尋ね習い、学び、創造工夫を凝らして理想的人間像を形成した。「古きを温ねて新しきを知る」「逑べて作らず、信じて古を好む」殊更に創造するよりも、古を好み求めて、そこに全人間的教養を身につけ、正しい理想的人間形成を追求し、人間像の典型を造形した。これによって門閥地位、身分、家柄、人種をこえて普遍的人間の共同社会を建設しようと望んだのである。その理想的人間像とは「仁」である。仁とは心の徳、愛情の理、忠恕-「己の欲せざるところを他に施す勿れ」「自分を立てたい時には、まず他者を立てる。自分が得たい時にはまず他者に得させる」「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下人に帰す。仁を為すは己による。而して人に由らんや。自己のわがままな我意を抑え、これに打ち勝つことなしには、人に対して「己の眞心(忠)をつくすこともなく、また人と交わって「偽りの(信)ないこともあり得ぬ。人に対する思いやり(怒)も、父子の情(孝)も兄弟姉妹の情(悌)も己に克つことなしにはあり得ない。

 人間誰でも豊かな財産、高い地位、名誉、強い権勢を欲するものであるが、正しいあり方で手にするものでなければ、たとえ手にしても、そこに居るわけにはいかぬ。また貧乏と下積みとは誰しも嫌なものであるが正しいあり方でないなら、そうなっても、それから逃げ出すことはできないものである。凡そ人間たるもの、仁を離れて人間に価しない。人間は食事の間も仁を離れることなく、どんなに慌ただしい時でも必ずこれを離れず、また躓いて倒れるような時でも必ず、ここを離れないようにするのだ」

 孔子は「人にして仁あらずんば、礼をいかにせん。人にして仁あらずんば、楽をいかにせん。礼も楽も仁なくしては、何にもならぬ。—— 仁の実践について「礼にあらざれば視ること勿れ。礼にあらざれば聴くこと勿れ、礼に非らざれば言うこと勿れ。礼にあらざれば動くこと勿れ。」(顔渕)また仁と知に関して「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し」(雍也)仁は知と離れて成立せぬ。「仁を好んで学を好まざれば、その蔽や愚」(陽貨)「知、これに及ぶも、仁これを守るに能わざれば、これを得ると雖も、必ずこれを失う」(衛霊公)知も仁によらなければ、知たることができない。

 政治に関して孔子は「民は由らしむべし、知らしむべからず」(泰伯)為政者は人民に信頼されるようでなければならない。しかし人民に必要以上知らしてはならない。政治は指導者のものであって愚民のものではない。指導者の居ない政治は衆愚政治となる。教育の普及ない当時において法令や公布の理由を判らせることはできない。教育が先決であると考えたのである。また政治の基本は「食物を増やし、軍備の充実を計り、人民に信あらしめる」(子貢)その三つの中から一つを捨てるとしたら何を先にするや、「軍備を捨てる」残りの二つの中から一つを捨てるとしたら何を捨てるや「食物である」人民に信頼なくなったらもはや立ちゆかぬ。軍備縮小、経済繫栄はなくとも、人民に信頼がある限り亡国はないが、信頼(倫理道徳)がなくなれば人類は滅亡する。

 また孔子は「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」「志士仁人は、生を求めて仁を害することなく、身を殺して仁をなすことあり」と生命懸けで理想を追求すべきである。またその人となりては「憤りを発しては食を忘れ、楽しみては以て憂を忘れ、老いの将に至らんとするを知らぬ」ような人である。

 孔子は「論語」曽子(大学)子思(中庸)孟子孟子孔子の弟子顔回その弟子の子夏その弟子の子思は中庸を著わし「天命之を性といひ、性を率ふ之を道といひ、道を修む、之を教という。」曽子は大学を著わし「修身、斉家、治國、天平下」の道を明らかにした。孟子孟子の思想をまとめ孟子となし、仁に加えるに義を成り立て王道と覇道を論証し、性善説及び革命思想(民主主義)を講じた。これに対し荀子性悪説を称え始皇帝の宰相季斯の権力、韓非子の法治説に影響を与えた。

 儒教の特色は「教え」にある。道を教え道を学ぶにあって、抽象的概念(理論)を確立することでなく道を実現するものとしての具体的人格の修行である。故に師について学び教えを受け、その人格を体現するにある。常にこれを主体化して人倫の常経を体認した聖人君子の人格に求めて来た。道を求める者は先ず師につき、聖賢の書を読み、君子の心を体することを條件とした。故に師たる者は何よりも人に仰がれる人格と信頼せられる人倫道徳を身に修めていることであった。儒教の真髄は道への随順であった。先哲の教えや師説に対する随順が第一義で批判分析は随順を経て後に求道者として行ったものである。知性は西洋の如く沒価的に展開するものでなく、常に知情意の均衡を保ちつつ聖賢の道をいかに正しく身に修めるかという方向に進められた。

 儒教はあくまでも求道的修行精進を目的とし人格の感性を使命とした。かかる求道的精神主義のあり方は、客観的存在の事物に対する無関心に陥る惧れがあり、これが西洋的自然科学を成り立て得なかった理由であった。

 儒教と並んで重要な中国思想は老子を祖とする道教の思想である。老子は、一切のものの根源を「道」という。道とは、名付けがたく、語りえぬもの、音もなく形もなく、触れることも出来ないもの、無であって、しかも永久普遍のものである。それは何等為すところなく(無為)して、しかも一切のものを在らしめている。それが自然であるということである。我意をはらず、己を空しくし、無為自然帰することが、人生の要諦であり、また政治であるという。この思想を発展させたのが荘子である。老荘の思想は観念的哲学的であって実用的であるよりは神秘主義の傾向が強く、仙人、遁世、天涯孤独等の幽玄の世界を創り上げた。

 中国の古代に於いてすぐれた多くの達人が出たにも拘らず、近代文明(西洋物質)に落伍したのも、自然科学に比し文科学・社会科学の立遅れもみな求道的修行に捉われたからである。

   (43 43' 23)

    

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人類思想の歴史と未来