いしずえ

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切目王子神社の伝説

 昔、昔、大昔の話であります。西薩のとある海岸に一人の御姫様とその母人と二人暮しの御家がありました。
 その母人というのは、何でも高貴な方の御寵姫(ごちょうき)であったが、ある人の讒言(ざんげん)によりて遠ざけられ、この寂しい海岸へ隠れ棲んでおられた。そこにきれいな姫と二人暮しだった。
 しかし、その二人の素性を、そこの村人は誰も知っている者はいなかった。
 姫は非常に気品が高く普通の者にくらべて勝れて美しく、夏も冬も足袋を履いておられた。いかにも神々しい姿があった。
 そこで、その村の娘達が嫉み何か難癖を付けて困らせてやろうと考えていた。そこには奸智に長けた一人の少女が姫の白足袋に不思議の瞳を向け、何か足に曰くがあるに相違ないと何とかして姫の素足を見てやらねばと考えた。そして皆の娘達に相談した茶目気分たっぷりの娘達は一議にも及ばずして直にこれに賛成した。そして、その計略に肝胆を砕いた。色々と評議の結果、ある日を期して水泳を催し無理矢理に姫を誘い入れて足袋を脱がし、それとなく姫の素足を検査して見ようということに一決した。
 夏のうららかな日が照り輝いた一天曇なきある日のこと、いつも集まる松原に来て彼姫を誘い出した。姫の素足を見るべき好適の日和なりと待ちかまえた。
 姫はかかるたくらみがあるとは神ならぬ身の知るよしもなく、姫は嬉々として走って来て皆と一緒に胡蝶のように飛び狂って遊ぶのであった。併し群鶏の一鶴とも謂うべく、姫の気高さは女護の島の女王もかくあらんとばかり尊くも輝いていた。心に闇を抱ける村の娘達は気がおくれてどうすることもできなかった。
 かくてこうなろうじと一人の娘は海に入って泳ぐことの面白さを巧に話して皆の心をそそった。さきの日、すでに打ち合せてあることで一同は直に賛意を表した。
 その一刹那姫の顔は見る見る蒼白に変じ唇を震わせながら、わらわは許してと哀願した。しかるにかねてかくあるべく期したることとて、なかなか聞き入れない、その中の最も意地悪で発起人である一人の娘が、御身一人を交えぬは本意なく、早く用意あれ、いざ手伝えと言いつつ無残や姫の足袋に手を掛けた。
 その時姫は、こらえかねて、かっぱと地上に打伏して、けたたましく泣き叫んで悶えた。
 娘達の中には、つれなきわざと思う者もあったが、多くの者は好奇の念にかられて泣き入る娘を押さえて、遂に足袋を脱がせてしまった。
 雪と輝く真白い足に別段変わった形はないと見えたが、一人の娘が指が六本あると言うので、更によく見ると、なるほど六本ある。
 そこで一同は、この不思議な発見に驚き、且つ満足してか、逃ぐる如く引き上げて行った。
 噂は波紋が広がるように、たちまち村中に伝わった。母子の歎き悲しみはいかばかりぞ、当時この村の掟として、不具者は船に乗せて海に流すことになっていた。誠に残酷極まる蛮風である。
 哀れ悲しき運命に見舞われたる母子の者、村の役人達の評議によりて、樟の大木が伐倒され、やがて一そうの小さなくり舟が出来上がった。それは、亀の形をした底の平たいものであった。
 日を定めて姫を舟の中に入れ、姫のかねて嗜める食物を沢山詰め込んでおき、そして海に突き流すこととした。
 母子の悲嘆、他所目にも涙の乾くひまなく今更に噂の種子を喋り散らした者共も空恐ろしく悔い悲しんだがどうすることも出来ず。遂にその日は来た。
 姫は舟に乗せられた。そして浜辺に女子供の泣き叫ぶ声を残して、舟は沖に突き出されて、浮きつ沈みつ波の間にまに漂いながら、沖の方遠く流れ去った。
 下大隅の軽砂の沖に釣する漁夫の小舟があった。漁夫がふと目を上げて一方の浪の上を見ると、それは大きな亀のような物が流れ寄って来る、近づくままに棹を取延べてかき寄せてみると、それは一個のくり舟で、上は浪の入らぬように蓋がしてあった。子細やあると、恐る恐るながら蓋の切目に手をかけ、やをら押し開いてみると、芳ばしい香気が鼻をついて、中に輝くばかり気高い一個の美少女が眠っていた。
 驚いてまた蓋を被せて舳(へさき)から突放した。しかし一旦手に掛けながら、再び押出さば、却って祟りあるべしと思い返して、遂に陸へ引いて帰った。
 ところが、この不思議な獲物に驚異の眼をみはる人々の群れが、小舟の着いた渚に真黒く集まった。
 人々の騒ぐ声に夢を醒ました姫は、しばし放心の体であったが、やがて、おもむろに立上ったその姿の美しさ尊さ、自然に備われる威光に一同平服してしまった。そして這はよもや只人ではあるまい、必ず大事にすべしと村人語り合って、一軒の宮を造りて之に住まはすることとした。
 この事が早くも世間の噂となりて、遂に元の住居ある村へも伝わり、母人の耳にも入った。母人の喜びはそれのみでなく、姫の居る村人が迎えに来たのであった。早速姫の許へ伴われて行って、再開の喜び、平和の生活、世は再び幸福になった。
 かくて三年目のある日、一そうの大船がこの宮の下の浜に着いて、十余人のいかめしい装をした兵士が上陸した。それは姫親子を迎取るための貴人の使者であったのである。
 村人のその純朴忠誠を愛でられ、厚く賞されたのであるが、姫を慕い嘆くこと一方ならず、ためにその宮居に遺る形見の品どもを崇めて神を斉(いつ)き奉り、切目王子神社として末の世まで祭り奉るがそれである。

   軽砂漁火   日野中納言資枝
    浪洗ふ沖の白洲は色くれて
     ほのめき初むるあまのいさり火

 なお、その母人というのは、枚聞(ひらきき)神社の祭神となられた御方なりともいい、彼貴人とは天智帝の御事なりとも言い伝えている。

                                  (垂水史談より)

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