2019-12-08 (ホ)数尺の水源 水源のない、数町歩の池水となるよりは、数尺四方でもいゝから水源があって、生意の尽きない井戸であった方がいゝと王陽明は言っている。又、「泰山の高きより、平地の大なるを」とも言っている。これは一見矛盾している言葉であるが、それは広い池も高い山も〝生意〟がなければならないという事である。生意とは、霊性であり魂の問題であろう。無機的存在より有機的な存在を重要視するのである。にほんブログ村