いしずえ

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第四章 中世の思想

 神意に絶対服従

 何がマホメット教をしてかくまで成功せしめたか、何處にその力が伏在しておるか、というならば、宗教信仰、特に唯一神の観念に基く世界観による。この宗教は神意と服従の二つに見ることができる。この世界は神の世界で、神の主宰する世界における人間の唯一絶対の行為最高の義務は服従であるという動かすことのできぬ人生観、この二つの性格がマホメット教を偉大ならしめた主なる理由である。
 マホメットは「一神に服従せよ」と。神は善きも悪きも万事を予定計画せる久遠の存在である。神は、その意(おも)う処を人に命ずる。何人も、その命令を逃避することは出来ぬ。神意(キスメット)はマホメット教徒にとっては絶対命令であり、万事を決定する言葉である。彼等は抵抗することも批判することも逃遁することも出来ない。呟くことさえ出来ない。躊躇することさえ許されない。従容として如何なる難事もを敢て引受け行うのである。水火の難も意に介しない。戦場の死も恐怖するに足らないのである。
 神意に対する絶対服従マホメット教徒をして驚嘆に価すべき大功業をなさしめ、大征服に成功せしめた原動力である。マホメット教徒が、最も大きな威力を発揮したのは、アラーと叫びつつ兵器を提げて、戦場に立った時であった。彼らは戦場において選ぶところは、勝利か死か、それより外には何物もない。神意によって死することは、彼らの最も熱願するところであった。彼らが戦場において、偉大なる行動、超人的行為を行うのはこれがためであった。

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第四章 中世の思想

 マホメットの生立ちとその版図

 マホメットは、「天は唯一の神なり、マホメットはその使徒なり」と宣教の標語にした。神は人類を導くために無数の予言者をこの世に送って、神の聖旨を伝える。その多くの予言者の中に、アブラハム、モーゼ、キリストは優れた予言者であり、マホメットもまたその一人であると、彼は強く主張した。マホメットの宗教的基礎知識は彼自身の天分、天性宗教的天才であった上に、ユダヤ教キリスト教より学びとったものである。
 二千年前に聖雄モーゼが、アラビアの荒野の中に立って、永遠に活ける神、世界の主宰者エホバ神を宣言して、イスラエル人は神の選民なりと鼓舞し、エジプトの奴隷民であった彼の志気を昻揚して遂にこの亡命民族を偉大なアラビア及び西アジアの征服者にした。
 このモーゼの気魄とインスピレーションは、確かにマホメットを勇気づけた。そうして全能の神の意志は、予言者マホメットにのり移り、神の自覚に立って全身全霊を躍動せしめ、活動をつづけて行った。彼は神の黙示に従って行動したのである。マホメットの胸中に淡々たる焔となって燃え盛るものは神の霊感と叡智であった。
 マホメットは五七一年メッカの名家に生れ、幼にして両親を喪い、貧困の生活を送り屡々(しばしば)隊商に従ってシリア地方を往復し、その間にユダヤ教キリスト教の一端を知り、当時の悲惨な下層民の生活に同情してこれを救済しようと考え、四十歳の時ヒラ山上において神の啓示に接し、大悟してから説教するに至った。その教は唯一神たるアラーを信じる一神教で、自らその神の使途なりと称し、説法すること三年にしてアブ・ベクル、アリ・オーマルなどの信者を得ることになった。彼がイスラム教を唱えたことは、宗教改革であったと同時に社会革命であり、政治革命でもあった。彼は神の前では一切の人民が平等であるとして特権階級の存在を認めなかったので、メッカの支配階級は悉く彼の説に反対した。メッカの北方にあるメヂナでは政治的対立の解決のためにも、ユダヤ人の感化による一神教の信仰のためにもマホメットの来往を望んだ。身辺の危険を感じた彼は六二二年七月メッカを脱出し、信者二十四名と共にメジナ市に逃走した。メジナ市民は彼を予言者として歓迎し、忠誠を誓った。信者も大いに増加した。
 マホメット教の教義は、人間の吉凶禍福悉く神意によって決定され、何人もこれを左右することは出来ない。信者は神と予言者とを信頼してこの教えを守れば、極楽の境地に達し、無限の幸福を享けることができる。中でもこの教えのために戦うことは、信者の最大の美徳であると説いて大いに信者を鼓舞した。更に従来の信仰方法を変え、政治的色彩を加えて武断的手段を採用し、自ら剣を取って異教徒を征服し、政教一致の神政王国を創設した。先ず六三〇年メッカを占領して、市内の寺院偶像を破壊し、唯一の寺院を保存し、これを中心に諸方に布教し、次第にその版図を拡張し、遂にアラビア全土、ペルシアの一部を征服し、サラセン国を創設し、六三二年六十三歳で病死した。歿後シリア、メソポタミア、ペルシア、エジプト、バピロニア、アッシリアを征し、東ローマ帝国の勢力をアジアから一掃し、ギリシャのアレクサンドル大王以来約千年のヨーロッパ支配を覆して旧来の姿に立ち戻った。その後アフリカ北岸からインスパニアに侵入しヨーロッパのキリスト教国を席捲せんとした。
 マホメットの唱えた宗教は忽ちにして六百数十の多神偶像を信奉していた宗教を解体統一し、燎原の火の如くアラビア、パレスチナ、シリア、ペルシャ、エジプト、北アフリカを征服し、ヨーロッパに入ってスペインに建国し、ローマ帝国の軍隊を破った。東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルを奪い諸方を経略し、オーストリーの首府ウインに迫った。永く全欧州のキリスト教国を脅した。

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第四章 中世の思想

 マホメット教の戒律

 (宗教的戒律

  1. 酒・阿片 — この二つは人間生活に不必要で且つ有害であるとしている。
  2. 生血、豚肉、病死闘死した鳥獣肉および異教徒の屠殺した鳥獣肉食を絶対禁止する。
  3. 奴隷の使用禁止。

 (家族的戒律

  1. 物心共平等に取扱える能力ある場合に限り男は四人まで妻をもつことができる。——能力なきものの多妻を厳正一夫一妻主義を理想としている。
  2. 母や近親との婚姻を禁止する。
  3. 分配主義による財産相続を厳守する。

 (一般戒律

  1. 売淫の罪を厳重にする。
  2. 姦通の罪を厳重にする。
  3. 婦人の月経中の罪を軽減する。
  4. 利子付借金および保険契約の禁止。
  5. 賭博の禁止。
  6. 占易、迷信行為の禁止。

 イスラム教の戒律は他宗教と異なってその教えが極めて多く、信徒の全生活に及んでいる。この戒律の一つでも違反したら神罰は免れないものと考えている。
 コーランは聖書や仏典と異なって宗教信仰上のものばかりでなく、信者の日常生活のすべてを規定した政治、経済、道徳その他一切に亘る一つの法典である。これが信徒の生活を束縛し、近代的文化生活に立遅れさせた原因にもなっているが、しかし、この事はイスラム教の無価値を意味するものではない。

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第四章 中世の思想

 中世のイスラム

 (イスラム教の特質

 世界三大宗教の一つであるイスラム教は、我々に何を教えているか。この宗教の創始者であるマホメットは、歴史上の明白な人物で、宗教家であると同時に政治家でもあり、軍人でもあった。中世アラビアに起こりヨーロッパ及びアジアに版図を拡げたサラセン文化の創設者でもある。この宗教の教典コーランは、キリスト教の聖書、仏教、ヒンズー教の教典などと異なり、後世の人々が創作したものでなく、開祖マホメットが自ら記したものである。
 マホメット教発生当時のアラビア社会の腐敗堕落は言語に絶するものがあった。マホメット教以前のアラビア地方には拝星教、太陽崇拝等各種の宗教があり、それが各地の部落ごとに存在して互いに対立していたのみでなく、偶像崇拝であったため、各種の迷信が盛んに行われ、信徒はこれを無条件に妄信して社会を堕落に導き、道徳は荒廃して、行くに任せていた。人々は互いに争い、力あるものは暴力をもって弱者を苦しめ、獣類のような生活を展開していた。これをこのまま捨ておくことは出来ない。神意に適(かな)った社会改革者としての予言者の出現を民衆は切望していた。この時マホメットが起って偶像崇拝を禁止し、宇宙創造の神を奉じて人々の道義を向上させ、精神的、経済的方面に努力して人心を安定させたのである。
 マホメット教すなわちイスラム教は、キスメットとムスリムの二つからなっている。イスラムとは平和、安穏、救済、表敬を意味し、キスメットとは神意を表わし、ムスリムは随順、信従を表わしている。イスラム教の神はアラーの神といい、唯一無二、無始無終、生まず、生まれない完全無欠の絶対神である。コーランでは「世界には唯一の神のみありて、神の外神はなく、マホメットはその予言者なり」また「アラーは唯一無二の神にして永遠の神なり何ものもアラーに似たるものなし」と規定している。信者達はこの唯一無二絶対の神アラーの偉大さ、全知、全能、全愛を信じ、この絶対神の中に融合することを理想としている。アラーは眼に見えないが、常に自己身内にあって人間を戒め導いている。アラーは絶対的存在である。予言者マホメットは神の天使ガブリエルから、アラーの教えを啓示される。予言者が教祖となってこれを信徒たちに伝える。彼等の日常生活の全てがこのアラーの教えに従って決せられるが、他宗に見るような一切の偶像(仏像、十字架)は認めず、一日五回の祈禱礼拝が行われる。
 宗教というものは人間を完成させるために(神の像に近づけるために)鍛練訓練を行うものである。イスラム教の修行「型」は次の四つになっている。
 一、祈禱礼拝一日五回(夜明け、正午、午後、日没、夜)場所仕事のいかんを問わず聖地メッカに向かって行う。二跪(にき)四拝、四跪八拝の方式で行なわれる。偶像のない彼等にとってはこの礼拝のみが神への忘却から救い得る唯一の道であるとされており、彼等は礼拝さえすれば、神は自己心内から離れ去ることがないと信じている。「祈禱は教えの柱にして天国の鍵なり」とコーランに規定している。この外毎週金曜日を集団礼拝日としている。
 二、喜捨、神は人間に対し自己実現の方法として力を出し、心を出し、親切を出し、誠を出し、犠牲、献身、責任等人のため世のために出すことを教える。その一作法として喜捨、賽銭、布施、和幣すなわち浄財を神に捧げることを教えている。喜捨は報恩、感謝、博愛、奉仕、奉公の印である。信徒は年収の三十分の一を神に捧げることになっている。これは失業救済、貧民施療、その他社会事業に使用されている。
 三、断食、九月一日から一カ月間日の出から日没までは一物も一滴の水も口にしない。日没後粗食を摂って体力を維持しながら、礼拝堂に参って斎戒沐浴し、メッカに向かって壮重、森厳な礼拝と祈禱を行う。これによって信仰を深め、克己心を養い、情欲を抑え、心身の清浄と健康をつくる。老人、病人以外は一人の例外なく全信者四億一斉に聖地に向って行うのである。
 四、巡礼、信者は一生に一度アラビアの聖地メッカに巡礼することになっている。巡礼は断食と同様に重要とされている行事で、これが終って帰ると「ハージ」といって郷里の有力者として尊敬される。巡礼には三つの条件が付いていて、⑴旅費および不在中家族の生活が立ってゆく資産を持っていること、⑵メッカまでの途中危険なきことの確認を得ること、⑶女は信頼出来る保護者同伴のこと。
 これらを実行するに当たって厳格に要求している二つの条件が規定されている。
 修行の前に、心身を清浄にすること。
 生活上の無駄、贅沢、華美を厳禁すること、肉食の低減、無駄遣いの禁止。

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第四章 中世の思想

  新約聖書

 旧約聖書ユダヤの神と新約聖書(ヨーロッパ)の神も同じエホバであるが同一神と思えない程違う。それはユダヤの予言者モーゼとユダヤ思想とギリシャ思想の合体神キリストとの違である。

 キリストはダニエルの予言書を読んで、神の子であるという自覚をした。自己の使命を悟り、自己を発見したのである。

 キリストの伝導生活は僅か三年間に過ぎなかった。この極めて短い宗教生活に於いてなしとげた事実は、実に驚くべきものであった。新約聖書の中には仏教などに見るような深い思想や高い教理はないが、最大宗教として君臨している理由は、その根底にキリストの偉大なる人間性と人格が横たわっているからである。即ち吾は神の子である。吾は救世主であるという確固たる信念、偉大な抱負は、磔(はりつけ)をもって脅(おびや)かしても動じなかった。

キリストはアブラハムモーゼ以来の凡ての予言を一身に引受けて之を現実に実現しようとした。これまでのユダヤの予言者たちは救世主を未来に求めておった。キリストは自分自身がその実現者であると公言した。その自信がキリスト教の偉大なところであり、キリスト教を世界最高の宗教にした理由である。イエス・キリストは真に偉大な救世主であった。この偉大さのために、結果から推論して、神の子に適わしい事実を創造せねばならなかった。

新約聖書の作者はキリストをエホバの子にせねばならなかったろうし、彼自身多くの奇蹟を創作せねばならなかったに違いない。しかし、キリストの偉大さはそんなところにあるのではない。彼自ら「吾は神の子である」「救世主である」と自覚し宣言して立上ったところにあるのだ。彼は一切の予言を一身に引受け、救世を未来に求めず、自ら救世主であると叫んだのである。そのイエス・キリストの教えと態度と精神は、

  1. 洗礼を受け神懸りとなったイエスは「見よ天が開け神の御霊が、鳩のように自分の上に降って来る」と叫んだ。また天から声があって「これは私の愛する、私の心にかなう者である」と。イエス・キリストは神の自覚を持つに至った。
  2. エスは四十日断食をした。衰弱し空腹になったところへ悪魔(サタン)が現れ「汝がもし神の子であるならこの石をパンにしてみよ」と云った。そこでイエスは「人はパンのみで生きるものではない、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」と答え、心の糧(かて)の方がより重大であることを強調した。更に悪魔はイエスを山の頂上に立たせて「神の子であるなら、ここから下へ飛び下りてみよ、神は御使たちに命じて汝を手で支えるであろう」これにイエスは「聖書には主たる貴方の神を試してはならないと書いてある」と応酬している。今度は高い山に連れて行き、世の全ての国々とその栄華を見せてから云った。「もし汝がひれ伏して私を拝むなら、これらのものを皆与えよう」これを聞いてイエスは「悪魔よ退け、主なる神を拝し、唯一の神のみに仕えよと神は教えている」と叫んだ。神懸りとなったイエス・キリストは日が経つに従って絶大なる自信をもって「悔い改めよ、天国は近づいた」と説きペテロを初めヤコブヨハネ等の弟子を率い、国中を歩き廻って、諸会堂で教え、福音を宣べ伝え、難病で苦しんでいるものを癒した。その評判はシリア全土に拡がり、各地から病と苦しみと悩みをもつ大群衆が押し寄せて来た。
  3. 山上の垂訓 ⑴「心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼等のものである」 ⑵「悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう」 ⑶「柔和な人たちは幸いである。彼らは地を受けつぐであろう」 ⑷「義に飢え渇(かつ)えている人たちは幸いである。彼らは飽き足りるようになるであろう」 ⑸「哀れみ深い人たちは幸いである、彼らは哀れみを受けるであろう」 ⑹「心の清い人たちは幸いである。彼らは神を見るであろう」 ⑺「平和をつくり出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」 ⑻「義のために迫害された人たちは幸いである。天国は彼らのものである」   これはモーゼの十戒に匹敵するものであるが、ここには妬み怒り復讐憎しみはない。慈しみ恵み愛が感ぜられる。彼は「私は法律や予言者を廃するために来たのではなく、成就するために来たのである」と完成のための改革即ち宗教改革を宣言している。彼はモーゼ程劇しくはないが、しかし厳しかった。即ち「右の目が罪を犯したら抜き取れ」「罪の手は切り捨てよ、命を捨てるよりはまだましである」「右の頬を打たれたら左の頬も打たせよ」「下着をとる者には上着をも与えよ」「敵を愛し迫害する者のために祈れ」「神は善人悪人を問わず太陽を与え雨を降らせる」と述べている。
  4. 善行は裏で行うのである。「義を行うに人前でするな」「施しをする時には、右の手のしていることを左の手に知らせるな」「善行は隠れてするものである。神は全てを知っているのだから」「祈りはくどくどするな、神は祈る前からそれを知っている」「人の過誤(あやまち)は許せ、然らば神は貴方を許すであろう」「断食は人目のないところで修行せよ」「宝を蓄えるなら盗人に脅かされる心配のない天に蓄えよ」「目は体の灯である。目が澄んでいれば体も明るい、目悪ければ体も暗い」「神と富とに兼ね仕えることは出来ない」   「何を飲もうか、何を食べようかと自分のことで思い煩い、何を着ようか、自分の体のことで思い煩い、生命は食物にまさり体は着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。蒔くことも刈ることもせず倉に取り入ることもしない。それだのに神は、彼らを養っていて下さる。ーー野の花は働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンよりも着飾っているではないか」
  5. 裁く勿れ 「人を裁くな、自分が裁かれないためである」「聖なるものを犬にやるな、真珠を豚に投げてやるな」「求めよ、そうすれば与えられるであろう、捜せよ、そうすれば見い出すであろう。叩けよ、そうすれば、門は開かれるであろう」「滅びに到る門は大きくその道は広い。命に到る門は狭くその道は細い」「偽予言者を警戒せよ、彼等は羊の衣を着ているが心の中は強欲な狼である」「求めるならば先ず与えよ、然らば与えられるであろう」
  6. エスの力と信念、その実践布教。彼が下山すると救いを求めて夥しい群衆が集まってきた。病める者、悪霊に取り憑かれた者、これらの悉く癒やして救ってやった。一人の律法学者がどこまでもお供したいと願った時、イエスは「狐には穴があり、鳥には巣がある。しかし人の子には枕する所がない」と退け、また、一人の弟子が「主よ、まず父を葬りに行かせて下さい」と頼んだ時「私に従いて来い、その死人を葬ることは、死人に任せておきなさい」   彼は一般人に対しては寛容であったが、弟子に対しては非常に厳しかった。或る時海上で暴風雨に遭った。弟子等は恐れ助けを求めて叫んだ。その時イエスは「何故恐れるのか、信仰の薄い者等よ」と叱り、立上って海を制した。弟子等は、その奇蹟に驚いた。「お前等に芥子粒ほどの信仰があるならが、これ位のことは何でもないことだ」
  7. 神の愛 取税人や罪人などが集まって来て同席し会食した時、弟子が「どうしてこれらの者と同席するのか」と咎めた。するとイエスは「医者の必要なのは病人である。私が好むのはあわれみであって犠牲ではない。——私の招くのは罪人であって、義人ではない」と答えた。「自分の言葉が自分を裁く」「心からあふれることを口が語るのである」「自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされる」「邪悪で不義な時代は証を求める」人はそれ自らの言葉によって裁かれる。

 イエスの母と兄弟たちが、彼に会いに訪ねて来た時、これを知らせてくれた人に「私の母とは、兄弟とは誰のことか。——ごらんなさい。ここに私の母兄弟がある。神の心を行う者は誰でも私の母であり兄弟姉妹である」
 「悟りのない者は道端に零れた麦であり、石の上に蒔かれた者は直ぐ言葉を受ける、また根がないので、困難迫害が起こると直ぐ躓く人である。荊(いばら)の中に蒔かれた者は直ぐ言葉を受ける人、また根がないので、困難迫害が起こると直ぐ躓く人である。荊の中に蒔かれた者は、世の心遣いと富の惑しとが御言を塞ぐので実を結ばない人である、良地に蒔かれた者とは御言を聞いて悟り実を結び百倍の収穫を得る人である」
 イエスは五個のパンと二匹の魚を五千人の群衆に増やして満腹させたり、海上を歩いたり、手を触れただけで病気を治したり、多くの奇蹟を現した。信仰があれば不可能はないことを現示した。
 また「口に入る者は手を汚すことはない、却って口から出るものが人を汚す」「口から出るものは悪い思い、即ち殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、諂(へつらい)などである」
 「世間では私をヨハネだと言い、或いはエリア、エレミヤだと称しているが、ペテロの云う通り、私は救世主(キリスト)である。そのためエルサレムに行ったら、長老、祭司長、律法学者たちに苦しめられ、殺されるに違いない。そして三日目には蘇る」
 「誰でも私について来たいと思うなら、自己を捨てて十字架を負うて従って来い。自己の命に捉われるものは自分の命を失い、私(キリスト)のために命を捨てるものは永遠の命を得るであろう。例え全世界を得たとしても自己の生命を失ったら何の得になろうか」
 夫婦について「二人はふたりでなく一体である。神が合わせられたものを人は離してはならない。再婚は姦淫である」
 永遠の生命を得るためには「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな、父母を敬え――自分を愛するように隣人を愛せよ持物全部を貧しい者に施しなさい。そうすれば天国に宝を蓄えることになる。――富んでいる者が天国に入ることはラクダが針の穴を通るよりも困難である。――救世主(キリスト)のために家も親も兄弟も財産も捨てた者は、その幾倍をも受け、永遠の生命を受継ぐであろう」

 8. キリスト最後の行動――イエスは神の言葉を守らぬ信仰の薄い、神を利用している神の寄生虫たち、即ち祭司長や法律学者や宮の境内で商売している商人を征伐するためエルサレムに行った。彼は「お前たちは、この神域を強盗の巣にしている」と叱り、腰掛を引っ繰り返した。祭司長や法律学者等は立腹したけれども、イエスには群衆の支持があるので手が出せない。ここでイエス最後の審判の日の近づいたことを宣言する。また二日後、十字架に掛けられることを予言するのである。
 予言した通りイエスは捕えられた。その時イエスは「貴下たちは私を捕えるのに、強盗に手向かう様な剣や棒を持って来たのか」「剣をとる者は剣で滅ぶ」と叫び、そして最後に十字架上で「エリエリ・レマサパクタニ(神よ私を見捨て給うのか)」を一期として昇天したのである。
おそらくイエスは死にたくなかったに違いない。それは死に臨んでの彼の言葉がよくその事情を物語っている。だからこそ救いのために死をかけたのであろう。イエスは奇蹟を好まなかった。しかし、奇蹟と利益を求める民衆を救済するには、そうするより外方法がなかったのだ。だが奇蹟に次ぐ奇蹟をもってしても飽くことを知らぬ民衆は満足しなかった。そこでイエス・キリストは死をもって民衆に迫ったのである。従ってこの死は後世キリスト教徒が言うような全人類の罪を一身に負うて、その罪を贖(あがな)わんために、十字架上に上ったのではなく、民衆の反省と自覚を促すために行ったものであると解するのが本当である。

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第四章 中世の思想

  中世のキリスト教

 元来ローマは、國教に反対し有害でない限り極めて寛大であった。然るにキリスト教は他宗教と妥協せず、殊にローマの国教及び皇帝崇拝教に対して極力反抗し、且つ女神がローマの祭壇に焼香することを拒絶したため多くの皇帝によって迫害された。

 紀元一世紀から二百五十年間キリスト教徒はローマ帝国の到るところで猛烈な迫害を受け、数千人が極刑に処せられた。彼のネロ・ドミチアヌス両帝を始め、人類愛を称えたアウレリウス帝、殊にヂオクレチアヌス帝は教徒に厳罰を加えるのみか寺院教会を破壊し、聖書を焼き捨てた外、種々の方策手段を講じて、キリスト教の断絶を計った。にも拘らずますます諸方に蔓延するに至った。それは次の理由によるものであった。

  1. 使徒を始め信者等が如何なる厳刑を科せられても、泰然としてこれを甘受し、正義と人類愛との信仰のために、一身を犠牲に供して、毫も顧慮しなかったことは、痛く世人を感動させ、これを信仰することが、如何に崇高であるかを知らせ、却って信者を増すことになった。
  2. 二、三世紀の頃から聖書に関する研究が大いに進み、ために教義に関する知識が博められ、これが公布の誘因となった。
  3. コンスタンチヌス帝はキリスト教を信仰し、三一三年勅令を出して国内の人民に信仰の自由を許し公布に努力した。
  4. キリスト教ギリシャ哲学思想が結合するに及んで、その内容が一段と力強いものとなり、三二五年宗教会議を開き、三位一体説が正統派として確認されるに至った。爾後益々発展することとなった。
  5. テオドウス帝は三九一年キリスト教がローマの国教たることを承認し、国民をして悉くこれを信仰させ、在来の多神教その他部族の宗教を禁止した。

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第四章 中世の思想

 中世紀一千年間は東西両洋とも宗教万能の時代であった。

 何時の時代も弱者や貧者の苦しみは同じである。富める者や権力者は、金と力で豪奢な悦楽、淫楽にふけり、快楽享楽を浴び、人間生活の悲しみや惨めさや苦しみをごまかしてゆくことができるが、貧しい者や弱い者はそれができない。彼等は常に災難や苦難をまともに受け、貧窮と苦悩と迫害に追い回されながら生きてゆかねばならない。腐敗し堕落し荒廃した世の建て直しを期待し待望するが容易なことではやって来そうにもない。

 こうした民衆に手を差しのべ救済し、安心立命の境地を与えるのが宗教である。

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