いしずえ

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第四章 中世の思想

 マホメットの生立ちとその版図

 マホメットは、「天は唯一の神なり、マホメットはその使徒なり」と宣教の標語にした。神は人類を導くために無数の予言者をこの世に送って、神の聖旨を伝える。その多くの予言者の中に、アブラハム、モーゼ、キリストは優れた予言者であり、マホメットもまたその一人であると、彼は強く主張した。マホメットの宗教的基礎知識は彼自身の天分、天性宗教的天才であった上に、ユダヤ教キリスト教より学びとったものである。
 二千年前に聖雄モーゼが、アラビアの荒野の中に立って、永遠に活ける神、世界の主宰者エホバ神を宣言して、イスラエル人は神の選民なりと鼓舞し、エジプトの奴隷民であった彼の志気を昻揚して遂にこの亡命民族を偉大なアラビア及び西アジアの征服者にした。
 このモーゼの気魄とインスピレーションは、確かにマホメットを勇気づけた。そうして全能の神の意志は、予言者マホメットにのり移り、神の自覚に立って全身全霊を躍動せしめ、活動をつづけて行った。彼は神の黙示に従って行動したのである。マホメットの胸中に淡々たる焔となって燃え盛るものは神の霊感と叡智であった。
 マホメットは五七一年メッカの名家に生れ、幼にして両親を喪い、貧困の生活を送り屡々(しばしば)隊商に従ってシリア地方を往復し、その間にユダヤ教キリスト教の一端を知り、当時の悲惨な下層民の生活に同情してこれを救済しようと考え、四十歳の時ヒラ山上において神の啓示に接し、大悟してから説教するに至った。その教は唯一神たるアラーを信じる一神教で、自らその神の使途なりと称し、説法すること三年にしてアブ・ベクル、アリ・オーマルなどの信者を得ることになった。彼がイスラム教を唱えたことは、宗教改革であったと同時に社会革命であり、政治革命でもあった。彼は神の前では一切の人民が平等であるとして特権階級の存在を認めなかったので、メッカの支配階級は悉く彼の説に反対した。メッカの北方にあるメヂナでは政治的対立の解決のためにも、ユダヤ人の感化による一神教の信仰のためにもマホメットの来往を望んだ。身辺の危険を感じた彼は六二二年七月メッカを脱出し、信者二十四名と共にメジナ市に逃走した。メジナ市民は彼を予言者として歓迎し、忠誠を誓った。信者も大いに増加した。
 マホメット教の教義は、人間の吉凶禍福悉く神意によって決定され、何人もこれを左右することは出来ない。信者は神と予言者とを信頼してこの教えを守れば、極楽の境地に達し、無限の幸福を享けることができる。中でもこの教えのために戦うことは、信者の最大の美徳であると説いて大いに信者を鼓舞した。更に従来の信仰方法を変え、政治的色彩を加えて武断的手段を採用し、自ら剣を取って異教徒を征服し、政教一致の神政王国を創設した。先ず六三〇年メッカを占領して、市内の寺院偶像を破壊し、唯一の寺院を保存し、これを中心に諸方に布教し、次第にその版図を拡張し、遂にアラビア全土、ペルシアの一部を征服し、サラセン国を創設し、六三二年六十三歳で病死した。歿後シリア、メソポタミア、ペルシア、エジプト、バピロニア、アッシリアを征し、東ローマ帝国の勢力をアジアから一掃し、ギリシャのアレクサンドル大王以来約千年のヨーロッパ支配を覆して旧来の姿に立ち戻った。その後アフリカ北岸からインスパニアに侵入しヨーロッパのキリスト教国を席捲せんとした。
 マホメットの唱えた宗教は忽ちにして六百数十の多神偶像を信奉していた宗教を解体統一し、燎原の火の如くアラビア、パレスチナ、シリア、ペルシャ、エジプト、北アフリカを征服し、ヨーロッパに入ってスペインに建国し、ローマ帝国の軍隊を破った。東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルを奪い諸方を経略し、オーストリーの首府ウインに迫った。永く全欧州のキリスト教国を脅した。

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