いしずえ

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中世のイスラム教 (十六)

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マホメットは五七一年メッカの名家に生れ、幼にして両親をうしない、貧困の生活を送り屡々隊商に従ってシリア地方を往復し、その間にユダヤ教キリスト教の一端を知り、当時の悲惨な下層民の生活に同情してこれを救済しようと考え、四十歳の時ヒラ山上において神の啓示に接し、大悟してから脱教するに至った。

その教は唯一神たるアラーを信ずる一神教で、自らその神の使徒なりと称し、脱法すること三年にしてアブ・ベクル、アリ・オーマルなどの信者を得ることになった。

彼がイスラム教を唱えたことは、宗教改革であったと同時に社会革命であり、政治革命でもあった。

彼は神の前では一切の人民が平等であるとして特権階級の存在を認めなかったので、メッカの支配階級は悉く彼の説に反対した。

メッカの北方にあるメヂナでは政治的対立の解結のためにも、ユダヤ人の感化による一神教の信仰のためにもマホメットの来住を望んだ。

身辺の危険を感じた彼は六二二年七月メッカを脱出し、信者二十四名と共にメジナ市に逃走した。

メジナ市民は彼を予言者として歓迎し、忠誠を誓った。

信者も大いに増加した。

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