いしずえ

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第四章 中世の思想

 中世の仏教

 釈尊の歿後紀元前三世紀のマウリア王朝のアショーカ王の時代に王の支持を受けて仏教は全印度に普及し、仏教教団の発展は、保守的正統派の上座部と進歩的改革派の大衆部との分裂を招き更に両部とも細分裂した。それは釈尊の教え、教典の解釈と整理がそうさせたのである。
 上座部系統の仏教は早くも紀元前三世紀にセイロンに伝えられ、その後東南アジア、ビルマ、タイ、カンボジアベトナムに伝えられ、今日に至った。
 釈尊は「真理の法の世界は、この現実の世界を離れてあるのではない。現実の世界が眞理そのものである(色即是空・空即是色)。これが釈尊の眞の教えである。仏陀とは眞理を悟った者であり、その体現者である。仏陀は無限の慈悲をそなえ、すべての衆生を済度する。自己が救われると共に他人を救わねばならぬ、このような利他的行為をする人を「菩薩」と呼ばれる。菩薩行は凡人には至難なことであるから、具体的に諸仏諸菩薩に帰依し、その力によって実践を行うべきことが説かれ、諸仏諸菩薩の信仰が高まると共に多数の仏像や菩薩像が作られるに至った。これが大衆仏教運動の始りである。在来の出家教団の仏教を「小乗」と呼び区別した。大乗仏教は、クシアーナ帝国時代、ギリシャ、オリエント、印度の諸文化の混合折衷の国際文化社会で、自由で順応性に富んだ普遍的世界宗教として発した。四世紀以降のゲブタ朝及び七世紀のハルシア王の時代にかけて、大乗仏教は大いに発展したが、その後印度文化の停滞期を迎えると共に仏教も衰退し、やがてマホメット教の侵入によって印度では姿を消すことになった。仏教が中国に入ったのは紀元第一世紀の頃であり、唐の時代には独自の中国大乗仏教を展開した。この中国仏教が朝鮮を経て紀元六世紀以降(印度から姿を消した頃)日本に導入され、奈良天平時代、平安朝時代を経て鎌倉時代に我が国の思想として定着し、日本文化を培ったのである。

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