いしずえ

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『童心殘筆』より

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津浪



「や、さては彼奴が此れなのか。」私は思わず眼を見張った。私の家の近所に一軒の妾宅が在って、始終色々な人間が通うて来た。そして毎夜、私の読書が佳興に入る頃になると、決ってベンベンと淫猥な三味を弾いて躁ぎ出すのであった。そのたびに、私の眉は思わず蹙まざるを得なかった。

其の蕩兒の群が今宵の暴風雨に逐はれて、生命一つをこの私の腕に託したのだ。嘗て私が窓に立って睥睨するのを嫌がった女が今日其の窓から私に助けられたのだ。男は強か腰を挫いて頻りに呻いて居る。

「湯は無いが水は上げましょう。」

私は気の毒になって、次の間から鐵瓶の水を汲んでやった。

「有難う御座いました。さゝあなた。ほんとうに生命が助かりまして、お蔭様でございます。」女と母親とは幾度か頭を下げた。