いしずえ

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「人権と平和」を問う

 ユーゴスラビアミロシェビッチという大統領は、政権基盤を安定させるために同国内の異民族アルバニア人を生贄にして、民族浄化の名の下に虐殺と迫害を行った。もともとアルバニア人がユーゴに住むようになったのには、かつての帝国主義列強の手前勝手な政策や、チトー大統領の強引な統合政策があったのだが、それがミロシェビッチの蛮行を正当化する理由にはならないのは当然である。ひとつの民族を国内から消してしまおうとする行為や、アルバニア女性への集団強姦を見かねて、問題解決のためにNATO諸国とアメリカはユーゴへの説得を続けてきた。しかしミロシェビッチは昨年秋の和平合意を破り、3月の和平案も拒否した。NATOによる空爆が始まったのはこのためである。

 さて、ここで日本国内の人権と平和を何より尊ぶ人々に借問したい。このアメリカとNATOによる攻撃を是認できるのか、それとも認めないのか。かれらは自由と人権は人類の普遍的価値だと言う。ならば、この爆撃は自由と人権を救うための正義であろうか。しかし、かれらは平和こそ何より尊いとも言う。ではアメリカとNATOは平和を破壊する戦争屋ということになる。平和のためには自由と人権は無視していいのか。あくまで平和的会議で解決すべきだと言っても、その間に殺され、凌辱される人々の人権は誰が保証するのか。また、いざというときの軍事力の背景がなくては、そもそも交渉力もない。

 さらに近代国家の根幹をなす国家主権に、自由と人権の名の下に他国が介入していいのだろうか。不戦条約以来の「自衛戦争以外の戦争禁止」原則はどうなるのか。アメリカとNATOは普遍的価値を旗印に事実上の侵略戦争を行っているのではないか。しかし一方、国家主権の下に、一国の内でなら何をしても許されるのなら、普遍的価値など存在しないことになる。国連を頼ろうにも、戦争当事者の米・英・仏とこれまた自国に民族問題と人権抑圧を抱えるロシア・中国が常任理事国なのだから、世話はない。道理よりも政治的決着が優先するのは当たり前だ。かくて人権、平和、国連をお題目とする戦後民主主義は複雑怪奇な国際世界の前に呆然と立ちすくむしかないのである。

 外から与えられた普遍性のみに立とうとする限り、この解決はない。自らの伝統の中に普遍性を位置付けてこそ、日本自身の判断が生まれる。そして国際社会は自らの判断を持たぬ国の発言力を認めないのだ。

 平成11年6月1日発行  次代 國乃礎より

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