いしずえ

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山中の賊を破るは易く 心中の賊を破るは難し

 自分が賊を平げるのは、何も珍しい事はない。諸君が各々心や腹に巣喰っている賊を、打ち払って平定の結果を収めるならば、これこそ大丈夫の上にまたとない偉積であろう、と陽明は言った。

 この言こそ陽明学の核であろう、と思う。「最大の勇気は自己に打ち勝にあり」と明言があるが、或る意味で人生、終わりまで自分との戦いではなかろうか。気分の悪い時にした物事は、ほとんどうまくいかず、益々滅入って、落ち込み翌日に持ち込む事が多々である。逆に明鏡止水、心に迷いや悩みが一切ない、上機嫌(快活)の時は何もかもうまく行く。

 人間が怒りの時、その息をネズミに注射すると、必ず興奮し数分で死に至る、という。又一時間のひどい憎悪や憤怒は八十人を殺すに至る毒素を出し、この毒素は従来の化学の知る最強の猛毒で、これが体内にうっ積すると、結局その人間を悪性の疾病と死に導く、と安岡正篤先生は、常々講話の時に取り上げておられた。「あいつの毒気に当てられた」とか、あるが科学的真実であろう、と又「魔がさす」という言葉もあるがこの魔が曲者である。一寸油断すると人間の心に入り込む、皆で楽しく一緒に談笑している時、フト、いやな気持ちになる時がある。別に理由はない。無性に気分が落ち込む、これは一体何だろうか、「好事魔多し」という事なのか。就れにしても油断は禁物である。

 確かに天気でも晴れの日だけでも困る、たまには曇ったり、雨が降ったり、年に一度や二度台風が来ても良いような気がする。人間の心も同じだ、それが生きている事だ、と京都の或る和尚は言われた。それに捉われている事がいけないのか。手を叩いて「この音は何処に行ったのか?何処に消えたか?」と、所謂「諸行無常」という事か。

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