いしずえ

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人物評及び教訓

 頭山満の土佐豪傑を語るや必ず、「四方に名を揚げつつかへれ帰らずば後れざりしと母に知らせよ」の子、青年廿六歳にして殉難せる土佐の豪雄天忠組総裁、吉村寅太郎を挙ぐ、

 曰く「彼れ頗る向ふ意気の強い男で、但馬で戦死した時多くの敵を倒し、十何人の同志を介錯してやった後、下着の袖を引き裂き、小指を食い千切って、辞世を血書し、自らの腹を十文字に掻っ切って後、太刀を口に銜えて真逆様に岩の上から飛び降りて死んだ」と云うから、其の胆っ玉の大きかった事は想像の外である。

 鹿児島は兵児の国として、所謂スパルタ式勇武盛んに昂揚した。其の兵児の国人に臆面もなく踏み込み来って万斛の冷水を浴びせかけた豪傑がいる。云わずと知られ平野国臣である。国臣は「我が胸の燃ゆる思ひに較ぶれば煙は薄し桜島山」の国風にこと寄せ、薩人が勤皇の志の冷かなるを罵倒している。平野は抜群の偉丈夫で真木和泉の如きは、真の英雄を見たければ平野を見ヨ、と言っている。頭山翁の如きは、毎々その人格を推賞してやまない。

 西郷と月照が海に身投げした時なども、国臣が知ると引留めるのが判っているものだから、極く内緒に二人の間に取り行われたものである。西郷の蘇生後、平野は御国の為に棒ぐべき貴重な身体を私情に抛つとは何事ぞ、と憤然としてこれを面責し、流石の西郷も只管陳謝したといふ事である。

 平成21年7月1日  〝いしずえ〟頭山満翁の人物像より

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