沖縄は「もともと中国から取ったんでしょ」?
お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が1月1日、テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」に出演し、中国が攻めてきた場合、尖閣諸島は「明け渡す」、沖縄は「もともと中国から取ったんでしょ」などと発言し、話題になっている。沖縄 インターネットでは、村本氏を批判するコメントが溢れていて、その不見識を非難するのは容易いが、インターネットで情報を得ている若い人たちが尖閣諸島や沖縄の領有問題に関心をもってくれたのだ。せっかくの機会なので、沖縄及び尖閣諸島がいかにして日本領になったのか、その経緯を紹介しておきたい。
その課題の一つが、沖縄などの領土の確定であった。
《今の中国は、使節がやってきた地域はすべて昔から中国の領土だったと言いますが、友好使節を派遣しただけで、支配されていたわけではありません。国民国家以前の時代ですので、王が柵封を受けて朝貢にやってきたからといって、王の統治下の地域がシナ王朝の属国であったわけではないのです。》
このため明治時代になり、日本政府は、琉球つまり沖縄の帰属問題に直面する。
「琉球の宮古島の住民は日本国民である」との立場から日本政府は、清に抗議する。ところが清は、台湾のパイワン族は文化の及ばない「化外(けがい)」だと答えた。台湾の原住民は、自国の領民に含まれないので、日本人が殺されたのは自分たちには関係がないと、責任逃れをしたのだ。
自国民を保護することが国際法上の独立国家の条件であることを理解していた大久保は、1874年5月、自国民殺害の征伐をするため台湾に軍隊を派遣した(台湾出兵)。
大久保利通は、日本中と世界中を敵に回した
実はこのとき、大久保利通は四面楚歌、周りは政敵だらけであった。台湾出兵の前年の1873年、いわゆる征韓論争がきっかけとなって西郷隆盛たちと対立し、西郷ら明治維新の元勲たちの多くが政府を辞め、郷里に帰ってしまった(明治六年の政変)。郷里に帰った元勲のひとり、江藤新平は翌1874年に2月、不平士族たちに担がれて佐賀の乱を起こす。憲政史家の倉山満氏はこう指摘する。
《(イギリス公使の)パークスはお雇い外国人の引き上げを示唆するなどの圧力をかけてきました。日清が揉めて東アジアの貿易の利益が失われるのを恐れたのです。(中略)列国公使も全員が、イギリスに追随します。(中略)大久保は、日本中と世界中を敵に回しました。》(『工作員・西郷隆盛』講談社)
それでも大久保は、列強諸国にこう反論し、台湾出兵を断行した。
《「琉球人は日本国民である。日本国民の権利を侵害されたのだから日本国の軍隊が報復を行うのは当然である」と、堂々と国際社会に主張します。(中略)「あなた方は日本を文明国ではないと不平等条約を押し付けてきた。日本国はあなたがたが仰る通りの論理で動いているのです。自分の国の国民の権利を守るのが主権国家なのだから、その義務を行使されてもらいます」ということですが、西洋列強はぐうの音も出ません。琉球を日本国の一部と主張することは、日本国には琉球人を守る義務があるのです。大久保は力と論理で認めさせたのです。》
大久保の主張を認めたイギリスの仲介により、日清両国は互換条約を締結し、清政府は日本に50万両を支払った。
宮脇氏はこう解説する。
《避難民に対する見舞金十万両、戦費賠償金四十万両を支払ったということは、宮古島の島民を日本国民と認めたということです。宮古島は琉球の一部ですから、賠償金を支払わされた時点で、沖縄が日本の一部であると言ってしまったに等しいのです。》
もっとも清は協約を結んだにもかかわらず調印を拒否し、最終的な領有権の解決は1894年の日清戦争後になった。戦争に敗れた清は、台湾を割譲し、同時に沖縄を日本領と認めざるを得なくなったのだ。
中国共産党の機関紙が沖縄の領有権を主張
ちなみに現在、問題となっている尖閣諸島については何度も現地調査を実施し、「国際法上、いずれの国にも属していない無主地である」ことを確認したうえで1895年1月14日に閣議決定を行い、日本領土(沖縄県)に編入している。沖縄の帰属問題を解決したからこそ尖閣諸島も日本領に編入することができたわけだ。もし大久保利通が、国内の政治的混乱や国際社会の反対を理由に、台湾出兵を決断しなかったら、沖縄と尖閣諸島の帰属問題はその後も外交問題になっていたかもしれない。言い換えれば、大久保利通のような指導者がいたから、沖縄も尖閣諸島も日本領になっているのだ。そして、この問題は過去の話ではない。
台湾出兵の契機となった、台湾で殺害された宮古島の島民のお墓が沖縄県那覇市にある「護国寺」の一角に建立されている。「台湾遭遇者之墓」と刻まれたこの墓碑は、近代史において重要な史跡なのだが、日本人の大半がその存在を知りもしない(NHKは大河ドラマの解説で、この墓碑を紹介してくれたらいいのだが)。
台湾遭遇者之墓 台湾遭遇者之墓 その一方で昨年11月、私が訪れたとき、台湾や中国から来た観光客たちがこの墓碑を見学していた。この墓碑の重要性を台湾や中国の人々は知っているのだ。
中国共産党の機関紙「人民日報」は2013年5月8日付で「歴史的に未解決の琉球(沖縄)問題を再び議論できる時が来た」と主張する論文を掲載した。党・政府の見解を示す同紙が沖縄の帰属を未解決と断定し、中国の領有権を示唆したのは戦後初めてのことだ。執筆したのは政府系シンクタンク中国社会科学院の張海鵬氏と李国強氏で、「琉球は明清両朝の時期、中国の属国だった」とし、日清戦争後の下関条約に関し「清政府に琉球を再び問題にする力はなく、台湾と付属諸島(尖閣諸島を含む)、琉球は日本に奪い去れた」と主張した。
だが、国際法上、尖閣諸島を実効支配しているとみなされるためには人員の配置や建築物の建設が必要だ。この国際法の論理を理解しているがゆえに自民党は2014年の衆議院選挙で「尖閣諸島に公務員を常駐させる」という公約を掲げたが、その公約は実行されていない。
恐らく「中国を刺激すべきではない」と主張する外国や国内の与党勢力の反対があるからだろう。だが、明治時代、内外の反対を跳ねのけ、大久保利通が台湾出兵を断行しなかったら、果たしてどうなっていたことか、いまこそ思い起こすべきだろう。
【江崎道朗】
1962年、東京都生まれ。評論家。九州大学文学部哲学科を卒業後、月刊誌編集長、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、外交・安全保障の政策提案に取り組む。著書に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)、『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社)、『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(青林堂)など
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1962年、東京都生まれ。評論家。九州大学文学部哲学科を卒業後、月刊誌編集長、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、外交・安全保障の政策提案に取り組む。著書に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)、『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社)、『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(青林堂)など
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