いしずえ

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同人 便り

山﨑堯右 先生より
 
人間独占地球は許されるか!
共生、弱肉強食など生物間影響しあって、互いに生存を維持している。システムダイナミックスによって、どの程度の範囲で一方的略奪が許されれば半永久的にお互い生物種が永続できるのか。
どの種が絶滅したら、この共生の輪が断ち切られて、いずれ絶滅せざるをえないのか。今のうちにシミュレートして、半永久的互いの共生可能な総合システムを構築しないと間に合わない。
一旦この共生システムの輪がくずれるといずれ全生物が崩壊絶滅の宿命が待っていることを急務と危惧する。
 
サッカーやオリンピックは近未来で必須か。
文明・価値観など単一志向は絶滅か人類滅亡の命運を助長するのではないか。価値観や機能や文明は均質単純化が人類滅亡に拍車をかけるように思えてしかたがない。
 
にわか金持ち国の成り上がり国は思い上がって、侵略進出し、周辺国は多大な被害を蒙ることは是非にかかわらず歴史上多数の実例が証明している。
ローマ帝国末期の欧州、維新後の日本、革命後のロシア、豊臣秀吉織田信長大英帝国、革命後のフランス、ヒットラー、現中国など然りである。
 
人間は法律や道徳など人間だけにしか通用しない倫理観にとらわれて地球や自然との間の共生に適用されるべきルールを無視してきたのではないか。それでは自然・神に生かしてもらえないし、未来はない。古代の日本やアメリカインデアンはそうであった。どこかで間違ったヨーロッパ文化道に迷い込んでしまった。かつての田舎では人口増に頼った生活ではなかった。文明の利器に頼った生活ではなかった。贅沢や利便性を追うことは未来に繋がるだろうか。もはやそういう時代は限界が見えてきた。結局弱肉強食略奪文化からは開放されないし、このままだとますます貧弱な文明思想に毒されていくしかない。貧困をさけて贅沢を求めて外国侵略あり、他国の貧はどうあろうと自国の富優先の経済格差前提の経済戦略にあぐらをかいた貿易戦略。狭い保護政策はまさしく人間優先で食料・愛玩動植物を当たり前の扱いとしている現先進国は先行き真っ暗。
鰹や鮪や鰻や牛や豚は人間の食料のために、地球に存在しているのではない。米・麦も同様である。その生物の共生価値を切り捨てた価値があらゆる生物同士の互助の必須価値が絶たれ、全生物の崩壊に連鎖する危惧を検討しただろうか。もしその命取りの有無の検討をしないまま、現文明を進めるのであれば、あまりにもいきあたりばったりでなかろうか。もしそういう危惧があれば、現文明の進め方は原始的、いきあたりばったり、幼稚な文明といわれてもしかたがない。こんなことで未来を託すなどはあまりにも無責任といわざるをえない。
 
仮説、前提条件が永久不変とする西洋科学文明は一時の夢物語、その例が進化論。立脚根拠が絶えず変動流動しているので、前提仮説は根拠は変貌後の今はすでにない。
常に抗体化で進化を遂げているウイルスのある時点でのサンプルを再現増殖してもそれ自体が別の進化を遂げ、同じサンプルを再現できないようなものである。
だれがやっても同じ結果が生まれることが科学の立脚する基本とするならば、この手法自体がまだまだ原始的論証手法といわざるをえない。
 
売国奴が本質か、攘夷ナショナリズムが間違っているか。
外国に国債を買い占められて牛耳られても国債を刷りまくる国策が妥当で国のためか、外国に進出する大企業の所属する経団連に牛耳られても優遇することが国のためで日本のためか。牛耳る政府のための日本か、企業に牛耳られる日本でいいのか、日本にいる国民のための政治が本質か、国のためとはいかなる階層に焦点をあてるべきか。9条に頼ることは米国依存主義で、日本独自力発展は米国にとって都合が悪いという米国翼賛主義となる。決して平和主義唯一方向とはならない。かといって大久保一族寡占化日本に牛耳られる安部独裁体制への傾斜でいいのか。