いしずえ

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『童心殘月』より

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暁風残月の遊



「しまった。俺は不容易で来っちまった。浴衣一枚でじゃ風邪を引くだらうな。」まん丸く肥った中澤君が頓狂な聲を出す。中澤君名は始、末法澆季の世に此れはまた尊い純樸な綽々として迫らぬ好青年である。頭の恰好から全體の姿、気分まで如何にも和尚に適しく出来て居る。中澤の始和尚とでも云いたい。しかもこの人坊さんとは何の関係も無い教職に在る。何處かの村で賣僧は逐出して、斯ういう人を和尚にしたてれば、嘸かし高徳の和尚が出来るだろうと獨り惜しく思う。古人燭を秉って夜遊ぶ。今の世紀末の輕薄才子輩は今時分カフェーあたりで驢鳴して居るであろうが、私等はまたこういう仙境で、こういう道友と、五更舟を浮べて詩酒に無限心中の事を忘れ、頽蕩として暁風残月に及ぶも愉快であろう。

山中の宿に突然現れた群客の為、慣れぬ宿屋の人々は大間誤つきである。漸く一同の前に食膳の揃った時は、いつの間にか十二時近くなって居た。誰か驚きの聲を放った。湖上遙かの雲間に凄涼な弦月がきらりと輝き出たのである。胚を停めて明夜の舟遊を想う。