いしずえ

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『天地友情』より

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遊ぶということ、人生も達すればすべて遊である

遊ぶということは、子供に限らずおよそ人間生命の自然の作用である。どういう理由でとか、何のためとか、何とか、一切条件抜きの、何とはなしに、ただそうせずにおられなくて、そうするのが遊びである。だから自然で、真実で、美しく、愉快である。何事も遊びにならねば本ものではない。商売のようなもっとも利に絡(から)んだことでも、商道の達人になれば、けちな算盤(そろばん)ずくで商売などしない。商に遊ぶところがある。まして芸事ともなれば、孔子も曰く「芸に遊(あそ)ぶ<遊は遊と通用>」。人生も達すれば遊である。『荘子』に逍遥遊を説いている。仏道も大乗は遊戯(ゆげ)三昧という。

われわれの生活も苦労である。人生・意の如くならざること十に七八と詠嘆されているが、何人もそれぞれ悩みが多い。もし、これと悪戦苦闘するばかりなら、どんな災害が起こるか測り知れない。よく芸に遊べばその人を救い、その生活、その事業をも健(すこ)やかにすることができよう。