いしずえ

『陽明学勉強会』 参加希望の方は kuninoishizuehonbu@yahoo.co.jp まで!!

『論語・老子・禅』より

イメージ 1

簡より、活水・有源に至(いた)る

われわれはこの余りにも枝葉末節に派生し過ぎて来ておる近代文明・近代生活から脱却して、本当の意味に於て自然というものを把握しようと思ったら、出来るだけ複雑なものを簡易(かんい)化し、雑多なものを圧縮して、表現することを学ばなければならない。又人間が出来て来(く)れば自ら雑駁でなくなって、純一になって来るものであります。言葉違いでも、簡にして要を得るようになって来る。

もっとも簡約し過ぎると、詩や偈(げ)にならなくなって来るけれども、兎(と)に角(かく)普段忘れておったり、気がつかなかったりしたものを発見したり、思い出したりして、真実なものを回復してゆく。そうすると丁度旱魃(かんばつ)のために枯れておった泉なり井戸なりに、それこそ再び水が湧いて来る。所謂活(い)きた水、活水であります。そうしてその活水の源泉に到達する、有源を発見することが出来る。