職業の本義は、自己が仁を成すにある
我々が依(よ)って以て衣食しつつ、之を通じて何等か社会の進運を亮(たす)けてゆく手段を職業と謂う。
例えばここに或る村の小学校に勤めて居る一人の真摯(しんし)な訓導がある。
彼は小学教員という職業に依って衣食しつつ、この職業を通じて、彼の属する各社会即ちその小学校、その村に貢献して居るのである。
それは同時に大なり小なりその府県、引いては国家という大社会の進運をも亮けて居る。
我々に造化自然に備わって居る本能的欲求は決して単にみずから衣食するだけで済まない。
それで済むならば他の動物と何等相違は無いわけであるが、「自覚する造化」である人間は、絶えず自(みづか)らより大きく生き、より大なる生活・社会の為に働く、換言すれば仁を求めねば止まない。
故に職業は人が依って以て衣食する手段には相違無いが、唯それだけではない。
否それは人間として職業の本義とは云えぬ。
本義はやはり依って以て自己が仁を成すに在る。
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