対応一処、無事不通。心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし
仏教人においてはよく知られておる言葉に、「心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし」という名言があります。「心に一処に対す」ということが勘どころです。我々は、今のように自己と仕事というものが分裂していては駄目なのです。自己というものを本当に仕事に打ち込んでいく、そうすると、自分の対象である仕事は、自己と一つになることによって精神化される、すなわち対象に魂を入れる、これが「対心一処」であります。しからば物に対する、事に対するのではない、事物と自己とが一つになることによって、対象はすなわち自己になる。自己が昇華する(self-sublimation)というもので、そうすると、どんどん物事が解決していく。これがいわゆる「事としと、どんどん物事が解決していく。これがいわゆる「事として通ぜざるなし」であります。
我々が若朽しないためには、「対心一処、無事不通」で、自分を仕事に打ち込んでいく、絶えずこういう習慣をつけることであります。