いしずえ

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『知命と立命』より

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死という問題を見ても、東洋の本当の学問をやった人、悟進し道を修めた哲人は、天地悠々たるところがある

私の好きな慈雲尊者(じうんそんじゃ)という、真言律の名僧がある。大和(やまと)の葛城(かつらぎ)の人だが、亡くなるまで講義をしておられた。行灯(あんどん)をつけて経を講じておられて、その中(うち)にいわゆる生命の灯が消えかかってきて本が見えなくなってきた。生命の灯が消えかかっていることを和尚ご自身はまだご存じない。それで侍者を呼ばれて、「油させ」と言われた。小僧は行ってとにかく油を足した。しばらくしたらまた、「暗い、油させ」と、もおうご本人は目が見えない。生命の灯がまさに消えかかっているのだから…。「はて、さっき注いだばかりだが」と小僧が見ると、まだいっぱいある。それで「和尚さま、油はまだいっぱいでございます」と言ったら、「ああ、そうか」と言われて「禅家では坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)<座ったまま亡くなったり、立ったまま死ぬこと>とやらをやられるそうじゃが、わしがのは横になるじゃ」と、お釈迦さまのように横になってそのまま亡くなられたという。おもしろい死に方だね。

こういうふうにして天地悠々たるところが東洋哲学の一つの特徴である。