いしずえ

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『儒教と老荘』より

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徳性というものは、樹木でいうと根幹のようなものである

徳性というものは、樹木でいうと根幹のようなものである。根幹には花や葉が着かぬ。しかしながら、それは直に青天を擎(ささ)げて立ち、無数の枝を派生して、そこに花を咲かせ葉を茂らせる。根幹はつまり万化の根源たる創造者である。近代人は、やれ英語ができるとか、ドイツ語ができるとか、劇に通じておるとか、法制に詳しいとかいうことを第一義のことのように大切がるが、それは美しく咲いた花や瑞々しい葉のようなもので、根幹ではない。

それだけでは別段価値のないもので、根幹から生れ出でて始めて価値がある。花を一つ葉を一枚ちぎって抛(ほう)り出したのでは、造葉造花の方が便利かも知れない。葉や花を抱いて根幹を遺(わす)れた者は、一朝にして顔色変ぜざるを得ないであろう。会話の上手な、フランス語も読める、文芸通の娘を、讃(ほ)めるのは好い。何にも知らないが、機嫌よく娘の着物でも縫って間違いなく家庭を治めてゆくその母親よりも娘を進歩しておるなどと思うのは、とんでもない近代的錯誤である。