いしずえ

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『儒教と老荘』より

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富貴は、あくまでもある高き目的のための、手段たり条件たるに過ぎない

富貴は畢竟人間がその能力を発揮する手段として価値があるので、富貴そのものに何らの価値はなく、したがって空しく守銭奴(しゅせんど)たり、尸位素餐(しいそさん)の徒たるぐらい無意義なことはない。それに富貴は人間にとって容易に得らるるものではない。ほとんど必ず人間性を無視し、忍び難き不徳の苦痛を忍び、他人に迎合もし、他人を損傷し、欺瞞(ぎまん)もするようでなくては達し得ない。かくしてまで、果して人間は手段に過ぎざる富貴を欲求する必要があるだろうか。

のみならず、富貴はおうおう人間の向上力、内観力を消麿して、肉体的、精神的共に人間を堕落せしむる危険が頗る多い。人間に晩節を汚すものの多いことを見よ。英主といわれた人に後半生を全うした人の少ないことを見よ。すなわち富や貴は、あくまでもある高き目的のための手段たり条件たるに過ぎない。要するにこれを用うる人を持たねばならない。