いしずえ

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『天地友情』より

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学問は世の中に出てからやるものだ、日常の生活以外に学問はない

学校でやることだけを学問と考えるものであるから、近頃の青年は学校を卒(おわ)るともう学問をやらない。もし学問の意味がほんとうに解れば、学問はむしろ世の中に出てからやるものだ。大哲朱子が友に与えた手紙に、「役人になっていると修業ができないというが、もし俗学からいえばまことにその通りだ。しかしながら聖賢の学問からいえば、日常の生活以外に学問はない。役人になって時務を執るなかに立派に学問がある。従来の学問ぶりはどうも自分を棚に上げて、外物にばかり趁(はし)った弊害を免れない」と語っている。また別の手紙の中に、「学者というものは文字言語ばかり追うて心に真の把握がない。そこで一生なんだかとりとめがなくて、そのままに過ぎてしまうものが多い。近頃病気になって思うように本が読めない。しかるにそのために却って心に進歩するところがある気がする」と述べている。実に哲人の言葉ではないか。とにかくもっと真実でなければならぬ。真実ということが人生万事の根底である。