現在に甘んぜず、理想に向って精進する人は、迫害をうけやすい
昔から凡そ現在に甘んぜず、理想に向って精進した人に、誰一人として、迫害を受けなかったものがあるだろうか。彼等は皆周囲から解されず、冷たく嘲(あざけ)られ、酷(むご)く悩まされ、往々生命を奪わるゝに至っても、尚、止むにやまれずして勇往邁進したのである。温良恭倹(おんりょうきょうけん)譲とたたえられ、平和の権化のように世間から考えられている
孔子が、実際は如何であるか。
故郷の
魯迅は
孔子を一向知りもせず、東家の丘(
孔子名は丘)ぐらいにしか、考えなかったといわれている、又それこそ身命を忘れて人間の覚醒、社会の覚醒に奔走している彼を、汝も佞(ねい)を為すかと皮肉ったり、余計な苦労だと冷視する者が、やはり少なくなかった。それどころではない、周遊中如何に屡々(しばしば)生命の危険に、頻する事が多かったか、苟(いやしく)も
論語を一読したならば、何人も思い半ばに過ぎるものが有ろう。
孔子の愛する弟子たちでさえ、果たしてどれ程徹底して、師を解し得ていたか。