いしずえ

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安岡正篤(著) 『王陽明研究』より

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善とは、止むに止まれぬ内面的必然の要求にしたがうこと。しからざるものはすべて偽善である、悪である

偽(いつわり)とは誰を偽るのでもない。自己を偽るのである。これに反して自己を偽らぬこと、真に内面的必然に率(したが)うことを「誠」という。

実在は誠を以て成立している。人間の性もまたそうである。ただ人間はこれを自覚せなばならない。『中庸(ちゅうよう)』にも「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と説いている。「これを誠にする」という意味を深く味う必要がある。要するに善とは、我を知り我に率うことにつきている。

聖賢ということがすでに無数の衆生に大なる感化を与えた表面的事蹟の故に捧げられたる名ではなくて、真の自己に生きた人、広く世間の衆生もしくは禽獣(きんじゅう)草木まで包摂(ほうせつ)し得るほど、清曠(せいこう)自由になし得た人をいうのである。

表面に現れた事業能力の大小などは決して第一義の問題ではない。真の自己、性、天理、良知に率って生きるが第一義である。