いしずえ

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安岡正篤(著) 『王陽明研究』より

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宇宙内のことは、すなわち己が分内のこと、宇宙すなわち吾が心

たとえば眼前の一朶(だ)の花に対する場合、その美しい色、風にそよぐ響、指にふれる滑(なめ)らかさ、柔らかさ、えならぬ香り、甘き味、それからその形も運動も、すべて吾が感覚上の事実である。かくのごとくすべて吾に属する作用をその花から抽(ぬ)き去ってしまえばどうか。色もなく、音もなく、香もなく、味もなく、抵抗もない花、形もない花、そんなものがはたして想像せられるであろうか。

すなわち普通我々の知覚する物はすべて物それ自身の客観的実在状態ではない。同様に我々自身の心といっても、平生経験するのは知や情や意の作用で、「心そのものを持ち来れ」といわれれば、特に把握することができない。して見れば、我々が普通考えているような内外界の事象は決してそのまま独立して実在しているのではなくて、明らかに人の心相に他ならない。心に対して物があるのではなく、心があって始めて物があるのである。世界はあくまでも認識の世界、経験以内の世界である。