いしずえ

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2013-01-01から1年間の記事一覧

薩摩藩いろは歌 (ふ)

不勢とて敵を悔ることなかれ 多勢を見ても恐るべからず

薩摩藩いろは歌 (け)

万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな思案堪忍

薩摩藩いろは歌 (ま)

万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな思案堪忍

薩摩藩いろは歌 (や)

やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥に二つの翼とを知れ

薩摩藩いろは歌 (く)

苦しくも直道を行け九十九折の 末は鞍馬のさかさまの世ぞ

薩摩藩いろは歌 (お)

おもほえず違うものなり身の上の 欲をはなれて義を守れ人

薩摩藩いろは歌 (の)

遁るまじ所をかねて思ひきれ 時にいたりてすずしかるべし

薩摩藩いろは歌 (ゐ)

亥に臥して寅には起くと夕霧の 身を徒にあらせじがため

薩摩藩いろは歌 (う)

憂かりける今の身こそはさきの世と おもへば今ぞ後の世ならん

薩摩藩いろは歌 (む)

昔より道ならずして驕る身の 天のせめにしあはざるはなし

薩摩藩いろは歌 (ら)

楽も苦も時過ぎぬれば跡もなし 世に残る名をただ思ふべし

「物質的には平等に精神的には自由に」協同組合運動の新しい波

「協同」と共同体(コミュニティ)は初期社会主義者達の追い求めたユートピアに於いては人々の共同生産を媒介に結びつけられ、自己完結する一体として想定されていた。だがこれらの初期社会主義者達の実践が挫折したあと、資本主義という巨大な標的の胎内で…

「物質的には平等に精神的には自由に」協同組合運動の新しい波

スペインのモンドラゴン協同組合の綱領 「教育から協同が生れ、協同の実践は不断の教育となる。」

薩摩藩いろは歌 (な)

名を今に残し置ける人も人 こころも心何かおとらん

薩摩藩いろは歌 (ね)

願はずば隔もあらじ偽の 世に誠ある伊勢の神垣

薩摩藩いろは歌 (つ)

つらしとて恨かへすな我れ人に 報い報いてはてしなき世ぞ

薩摩藩いろは歌 (そ)

誹るにも二つあるべし大かたは 主人の為になるものと知れ

薩摩藩いろは歌 (れ)

礼するは人にするかは人をまた さぐるは人を下ぐるものかは

薩摩藩いろは歌 (た)

種子となる心の水にまかせずば 道より外に名も流れまじ

薩摩藩いろは歌 (よ)

善きあしき人の上にて身を磨け 友は鏡となるものぞかし

薩摩藩いろは歌 (か)

学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそ猶静かなれ

薩摩藩いろは歌 (わ)

私を捨てて君にし向かはねば 根も起こり述懐もあり

薩摩藩いろは歌 (を)

小車のわが悪行にひかされて 勤むる道をうしと見るらん

つもった雪

上の雪 さむかろな つめたい月がさしていて 下の雪 重かろな 何百人ものせていて 中の雪 さみしかろな 空も地面もみえないで 金子みすず

薩摩藩いろは歌 (る)

流通すと貴人や君が物語 はじめて聞ける顔もちぞよき

薩摩藩いろは歌 (ぬ)

盗人はよそより入ると思ふかや 耳目の門に戸ざしよくせよ

薩摩藩いろは歌 (り)

理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 心の駒の行くにまかすな

思想 鉱脈

言志録(王 陽明に学ぶ) 幕末維新は、攻める方も守る方も陽明学徒であった。 又、幕末の三傑、藤田東湖、横井小楠、佐久間象山も日本陽明学の祖、中江藤樹の高弟熊沢蕃山の心酔者だった。 此の陽明学を今こそ此の国難の秋、共に学び救世済民に当ろう。 神気…

薩摩藩いろは歌 (ち)

智慧能は身につきぬれど荷にならず 人は重んじはづるものなり

薩摩藩いろは歌 (と)

とがありて人をきるとも軽くすな 活かす刀もただひとつなり