いしずえ

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震災5年 福島避難者なお10万人 「心身に不調」世帯6割超

東京電力福島第1原発事故による放射線の影響などで、いまだ10万人近い福島県民が故郷から離れた場所で避難生活を続けている。5年に及ぶ避難生活の長期化は、高齢者の孤立や健康リスクの増加など問題を生んでいる。避難に見切りを付け、移住を考える人も増えてきた。(緒方優子、野田佑介)



「1人で村に戻っても寂しい。ここにいれば気が紛れるから。もう慣れちまったよ」

自宅のある福島県川内村から、約40キロ離れた同県郡山市仮設住宅で生活する秋元トキ子さん(84)。原発事故後、栃木県内の長女宅へいったん避難したが、3カ月ほどで福島に戻った。

川内村では平成26年10月に避難指示区域の指定が一部解除された。だが生活環境に不安があり、いまだ約千人が避難している。秋元さんは村で夫と2人でコメや野菜を作っていたが、夫は避難生活で体調を崩し、事故の翌年に亡くなった。

◆故郷と縁切れない

福島県によると、避難者は24年6月の16万4218人がピーク。避難指示が出された区域のうち指示が解除されたのはまだ2割弱で、全国各地に避難者が散らばっている。

県が避難者に昨年実施したアンケートでは、「放射線の影響」や「生活資金」に不安があるなどとして仮設住宅への入居延長を望む声が多かった。懸念されるのは、家族の心身の健康に問題のある避難世帯が全体の6割を超えたことだ。

福島県外への避難者も、帰還の見通しが立たず移住を検討する人が出てきた。

「自分の生まれ育った場所と縁を切ることはできない。ただ、今後の町との関わり方を考えなくてはいけない時期に来ている」

◆見えないストレス

福島県大熊町から、高齢の母親とともに水戸市に避難する浅野秀蔵さん(59)。大熊町などの帰還困難区域に指定された地域では、除染作業すら始まっていない。除染で生じた廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設も進んでいない。

浅野さんは原発事故の翌年、同じ茨城県内に避難する大熊町民のコミュニティーを発足させた。メンバーは30人ほどで高齢者も多い。「自宅に戻りたい」と願う家族を避難先でみとった人もいるという。

福島県からの避難者の支援を続ける茨城大の原口弥生教授(環境社会学)は「避難者は将来の生活や仕事への不安、進まない賠償手続きの負担など、見えないストレスを絶えず持ち続けている。避難先で自立して生活する人々に必要な情報を提供したり、人とのつながりをつくったりして、今後も支えていく必要がある」と指摘した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160311-00000054-san-soci

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