いしずえ

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『童心殘筆』より

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暁風残月の遊



それにしても何というだらしなさであろう。日頃のたしなみを想わせる様な身體の構えや眼の配りは何處にも求められない。凡て一塊肉團の、しかも一様に筋の弛んだ、たゞ世紀末の病的な神経線維の浅露した此等都人士の人相は、楊朱一派の思想家では無いが、如何にも自然から放たれた落人~「遁人」という様な感がする。私はあさましい車中の景を長い間しげしげ見渡して居たが、急に一種の愧づかしさを感じて、やがて東坡の詩集に眼を伏せた。

高崎で品の好い老夫婦が親に乗りこんで来た。途端余の筋向うに坐って居た髪を耳隠しに束ねた華美な装いのきりっとした十八九の娘がつと立って、歯ぎれ好く挨拶した。白髪の老紳士は慇懃に眼體したまゝ、私の傍の空席に上りこみ、羽織を脱いで網棚に載せた。そして小柄な老婦人に一暼を呉れ、手堤を受け取って眼鏡と新聞とを取り出した。老婦人は眼尻に小皺を湛えてやさしく微笑みながら、低い聲で娘に挨拶した。そのつゝましやかな語調と輕装の中にも何處やら端然とした姿を私は心持よく眺めた。