歴史は、将来を暗示する
明治時代と今日を比べてみてもそうです。
明治初年の人間にはこれがある。
骨が太い。
一本背骨が通っている。
案外人間的な深さというものがある。
と同時に、どこかに潤(うるお)いがある。
人間味豊かである。
ところが段々人間が弱くなって、利口なようで実は浅薄、そして人間的な味というものは段々無くなってしまった。
そうして徒(いたずら)に、哲学だの文学だのというものが流行(はや)る。
今日の時代、文化というものを考察すると、あらゆる世界の歴史に徴して、明らかにこれは、没落の運命にあることを明白に証明している。
これをどうして救うかということが、歴史の大きな課題であります。
確かに、歴史は例証からなる哲学だ。
そして、将来に関する予言の最善なるものは過去である。
過去を検討することが将来を暗示する。
従って、こういう歴史と哲学というものに沈潜するということが、我々の前途を照らす一番光明を得ることであって、そういう意味においてショーペンハウァーの「孤独はすべて優れた人物の運命である」という言葉は味わい深い。
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