いしずえ

『陽明学勉強会』 参加希望の方は kuninoishizuehonbu@yahoo.co.jp まで!!

三 第十一代垂仁天皇

イメージ 1

伊勢神宮の創建

垂仁天皇の御世について特に伝えられていることは、伊勢神宮がこの時に創建され、国民的統一神が成り立てられたことである。

前代に天照大御神の御霊代(鏡)と須佐之男神の御霊代(剣)が豊鍬入姫命にかしずかれて笠縫邑に祭られていたが、此の時代になって皇女の倭姫命が代って大神に奉仕することになった。

倭姫命は大神の鎮座すべき土地を求め、近江から美濃を廻り、伊勢国に至って大神の神託のまにまにその祠を五十鈴の川上に建て祀った。

かくて御神体をここに鎮座されたのである。

抑々この地は天孫降臨の際猿田彦神が参られて、自分は伊勢の峡田の五十鈴川の辺に行くであろう、と申された所である。

倭姫命が宮所を御尋ね求められた時に太田彦命という人が現れて、此の地をお教え申したのであった。

この太田彦命というのは猿田彦命の子孫であった。

かくて中臣の祖大鹿島命を祭主とし、大幡主を神主として、これよりこの宮を皇大神と崇め奉り、天下第一の宗宮となされたのである。

このような伊勢神宮に奉仕する人は姫女王に限る事になって居ったのである。

この姫皇女を齋女王と言った。

豊鍬入姫命の後を継いだ倭姫命も共に皇女であり、これは神坐の最高地位であって、しかも最高神に奉仕するのである。

つまり国政運用の最高の宣託伝道する地位に立たされるのである。

これによって一層宗教的権威を高め、国家統一を教化することとなった。