垂仁天皇の御世について特に伝えられていることは、
伊勢神宮がこの時に創建され、国民的統一神が成り立てられたことである。
前代に
天照大御神の御霊代(鏡)と
須佐之男神の御霊代(剣)が豊鍬入姫命にかしずかれて笠縫邑に祭られていたが、此の時代になって皇女の
倭姫命が代って大神に奉仕することになった。
倭姫命は大神の鎮座すべき土地を求め、近江から美濃を廻り、
伊勢国に至って大神の神託のまにまにその祠を五十鈴の川上に建て祀った。
倭姫命が宮所を御尋ね求められた時に太田彦命という人が現れて、此の地をお教え申したのであった。
かくて中臣の祖
大鹿島命を祭主とし、大幡主を神主として、これよりこの宮を
皇大神と崇め奉り、天下第一の宗宮となされたのである。
このような
伊勢神宮に奉仕する人は姫女王に限る事になって居ったのである。
この姫皇女を齋女王と言った。
豊鍬入姫命の後を継いだ
倭姫命も共に皇女であり、これは神坐の最高地位であって、しかも
最高神に奉仕するのである。
つまり国政運用の最高の宣託伝道する地位に立たされるのである。
これによって一層宗教的権威を高め、
国家統一を教化することとなった。