頭山満は安政二年(一八五五年)四月十五日、今の福岡市西新町に筒井亀策の三男として生れた。「満」という名は大宰府天満宮の満を取って満と称するようになった。彼が頭山姓を名乗るようになったのは十八歳の時、母方の養子になってからの事である。
其の後女流儒学者の高場乱の興志塾に入り、後に福岡三・結社の一つ「興志塾」から出た矯志社を起こし反政府活動を展開し、気勢を大いに盛り上げた。そして熊本の神風連を皮切りに秋月党・萩の乱や佐賀の乱を尻目に、大久保利通暗殺作戦も頓挫し、西南の役で西郷軍が敗退した。
平成20年4月1日 〝いしずえ〟頭山満翁の人物像より