いしずえ

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大西郷以後の大人傑

 当今、東方問題に亜細亜間の意見を自分独特の意見のやうな顔付で、政治家・実業家が得意気に喋々と話しているが、これらは荒尾が50年前に盛んに談論していた事ばかりである。自分の友人中、政治家の素質を備へた者は荒尾を第一に数へるが、彼は38歳で死んだ。若し50前後まで存命していたならば、無論内閣を組織していたであろう。而もその内閣たるや、歴代の内閣中最も強固にして最も融和せる内閣であったであろうと確信する。

 荒尾の一言一行は凡て至誠より発し、天下の安危は一に己の身に係ると自任し、日夜孜々として心身を労して意としなかった。多大の艱苦の献身的精神に対しては敬服の外ないのである。真に偉人の器を具へ、大西郷以後の大傑であった。其の容貌、識見、徳望何れの点から見ても、彼は偉人たる風格を示し、一種いふべきからざる柔和にして能く人を安じ人を魅する力を持っていた。

 大隈重信は饒舌で人にものを言わせなかったが、荒尾が大隈に会って、支那のことを話す時は、大隈は一言も言わず謹聴した。まるで子供に言ふて聞かせるやうに淳々と説いて聞かせた。荒尾は朝は暁より起き、夜は2時・3時までも陽明学を勉強し疲るれば机にもたれて一睡し、覚むれば復た読むという次第、行儀正しく寝する以外袴は何時も着けていたといふ。

 平成22年1月1日  〝いしずえ〟頭山満翁の人物像より

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